宮古島と循環する私たち

島を出たころを思い出す季節

この季節になると、宮古島を離れて一人暮らしをしたころを思い出すことがあります。小さな島を出て、関東の大学に入学した一年目は、雰囲気や感覚の違いに戸惑い続け、ホームシックに悩まされる日々でした。そんな日々を抜け出すきっかけは、大学生の特権ともいえる長い夏休み。みんなは帰省していきますが、宮古島に帰省する交通費が惜しくて居酒屋のアルバイトに明け暮れていました。日中、外を出歩いていると、学生マンションの裏手に住む大家さんの老夫婦に声を掛けられ、昔話を聞かせてもらいながら、帰りがけに野菜をいただいたりもしました。
宮古島でお年寄りに囲まれて生活をしていたことで身についたコミュニケーション能力が活かされたと同時に、雰囲気や感覚が違うと思っていた風景や土地の人たちが、近いものに感じ始めたのです。宮古島に住んでいたころと同じ感覚を、その土地に少しずつ合わせながら生活をすることができ始め、毎日が楽しくなっていきました。

学生のころのような関係でいたい

いかにも文系の大学生らしい、遊ぶことに全力な日々へと生活が変わっていき、アルバイト先の居酒屋で出会った人達や大学の仲間らとサークルを作ってアクティブに四季を楽しむようになりました。そして、就職活動が始まるにつれ、楽しい日々を過ごした仲間たちと離れ離れになってしまう日が近づいていることを感じ、言葉では表せない寂しさと不安が湧いてきました。
「このまま社会人になって、それぞれ違う立場や状況になって、フラットな関係ではなくなり、あのころは良かったなんて言ってしまうのだろうか」などと考えたりして、勝手に落ち込んだものです。そこで自分の中で決めたことは「学生のころのような感覚に戻れる場所をつくる」でした。みんなで集まれるリゾート地に自ら宿泊施設でも作るか、みんなと働ける会社をつくるか、と漠然とした思いを描きながら社会へと足を踏み入れていきました。
それから十数年が経ちました。現在、宮古島の実家を活かして、学生のころのような感覚に戻る時間を過ごすことができ、同僚の何人かは私が誘った方々といった具合に、願いが少しずつ叶ってきている状況です。これは本当にありがたいことだと、周囲や神様に感謝しています。あのころ、思い描いたものをさらに具現化できるように、学生のころから知る同僚らに良い刺激をもらいながら、営業に邁進する幸せな一日を今日も過ごしています。

 

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株式会社うるばな宮古営業担当部長
砂川 丈見
(すなかわ たける)

沖縄県宮古島市出身。
大学進学時に島を離れるも、宮古島の島興し事業である宮古ビデンス・ピローサ事業に惹かれ2006年入社。
宮古島と本州を行き来しながら、それぞれの地域や企業の良さをつなげ、宮古ビデンス・ピローサ事業の商流を膨らませることに喜びを感じる南国気質な営業マン。

サトウキビの有数の生産地

沖縄の代表的な農作物の一つであるサトウキビは、沖縄県全域で75万4千トン(平成27 年産)の生産量があります。宮古島地域は、34万5千トンの生産量を記録しており、全体の約45%を占めています。沖縄県で最もサトウキビを生産している地域なのです。

サトウキビの収穫は、1~3月。この時期は居酒屋で地元の人を見なくなるほど、親族一同で収穫に追われます。私も子どものころ、土日は祖父の畑に手伝いで呼ばれることがありました。ラジオから流れるヒットソングを聴きながら、冬の畑で黙々とサトウキビの葉をはぐのです。ヒットソングに都会の様子を想像しつつ、目に見えるほどには作業が進まない畑を眺め、収穫が終わるまでの道のりの長さに絶望を感じました。

サトウキビ畑に加え、実家は兼業農家を営んでおり、ハウス栽培でインゲン豆やゴーヤーを栽培していたため、子どものころは農業に接する機会が多くありました。向いていなかったこともあるのでしょうが、農業に過酷さしか感じることができず、職業の選択肢から外し、農業を営む人への尊敬の念が芽生えたのを覚えています。

どのような時間を過ごせば幸せか

宮古島に住んでいるころは、毎週、父方と母方の実家に行き、祖父母と話をするのが習慣のようになっていました。高校生になっても、それは続いていました。高校卒業後は進学のために宮古島を離れて生活をしなければならず、それを意識し始めたとき、祖父母に「島を出たいと思ったことがあるか」と尋ねたことがありました。両家の祖父母から同じように、「子どものころから苦労は多かったけど、出たいとは思わなかった。この地域の人たちと離れたら幸せも感じられないと思う」といった答えがありました。

当時は「時代が違うのだな」と思っていました。でも、進学して都内で就職し、故郷を離れて生活をしていると、その言葉の意味が理解できるようになりました。今でも宮古島に戻るたびに、どのような時間を過ごせば幸せなのか気づかされることがあり、お年寄りをはじめ、地元の人たちには感謝する場面が多くあります。

島内の労働力と向き合う

私たちは、宮古ビデンス・ピローサの栽培・加工に加え、宮古島産春ウコンの栽培・加工にも力を入れています。

収穫の時期がサトウキビと重なることもあり、島の限られた労働力では不足してしまいますが、社員一同で知恵を出し合い、限られた環境で、どうこなしていくかを考え取り組んでいる最中です。

もし、「宮古島に観光に行った際に、お手伝いしてもいいよ!」という方がいらっしゃいましたら、ぜひ、お声がけください。

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農薬、化学肥料、堆肥を使わず栽培した沖縄県産春ウコンに宮古ビデンス・ピローサエキス末を配合
宮古春ウコン錠

長年品薄が続くほど人気の高い沖縄産春ウコン。素材の力を引き出しながら余分なものを落とすという考えのもと生み出された、独自の加工法でつくりました。

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株式会社うるばな宮古営業担当部長
砂川 丈見
(すなかわ たける)

沖縄県宮古島市出身。
大学進学時に島を離れるも、宮古島の島興し事業である宮古ビデンス・ピローサ事業に惹かれ2006年入社。
宮古島と本州を行き来しながら、それぞれの地域や企業の良さをつなげ、宮古ビデンス・ピローサ事業の商流を膨らませることに喜びを感じる南国気質な営業マン。

過去最高の沖縄の観光客数

月に1回のペースで、沖縄本島と宮古島に営業で訪れる機会があり、飛行機内や空港内、レンタカーの待合室などで聞こえてくる言語や方言から、どのような国、また地域から、どのような目的で来島されているのかを感じ取ることがあります。

多くの方は観光を目的としている様子ですが、仕事で来られている方も割と多いように感じます。

そんな多くの観光客でにぎわう沖縄の地元の新聞に目をやると「2015年、沖縄観光客776万人で過去最高」と、景気の良い見出しが飛び込んできました。特に外国人観光客の伸び率は高く、前年より60万人も増え、150万人以上の外国人観光客が訪れたとあります。沖縄を訪れる観光客の2割近くを外国人観光客が占めるほどになっており、改めてその存在の大きさを感じました。

離島に合った観光の在り方

沖縄県を訪れる観光客の多くは、沖縄本島に滞在します。沖縄本島ではリゾートホテルからビジネスホテルまで、南国のリゾート地らしい見栄えの良い施設が多く存在し、買い物やレジャーが楽しめる施設も、年々充実しています。

私たちが取り組む地域振興事業の地、宮古島に訪れた観光客数は、平成27年度に51万人。沖縄県を訪れた観光客数の1割に満たないのですが、それでも前年比の2割増と大きく伸びている状況です。

そんな宮古島が取り組む観光集客の一つに「スポーツ」があります。大きな大会はトライアスロンやマラソン、ロードレースなどがありますが、地元の方も楽しめるビーチスポーツやグラウンドスポーツもあり、毎月何かしらのスポーツイベントを開催しているのでは、という頻度でおこなわれています。

宮古島の自然と地形を活かし、行政だけでなく、島民全体でイベントを盛りあげる意識が、スポーツ観光を育てており、買い物やレジャー以外の魅力で来島者を増やす取り組みにより、個性のある観光地になりつつあります。

多くの資金と労力を費やすことで、地形や風景が年々変わってしまうほどの開発をしなくても、その土地の住民の気質に合ったやり方やスピードで、その土地を活かした取り組みをすれば、人が求めて訪れてくれる。焦らなくてもよい。そんな風に、宮古島の観光を支えるみなさんに気づかされました。

私たちも宮古ビデンス・ピローサの優れた機能を一人でも多くの方に知ってもらえるよう、焦ることなく、流れや気質を活かして広める取り組みをしていきたいと思います。

いよいよ春です。目や鼻に不快感が現れる季節。身の回りにそんな方がいらっしゃいましたら、宮古BPドリンクがお勧めです。

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宮古ビデンス・ピローサエキスを配合した健康サポート飲料。
液体なのでわずかな時間で吸収されます。

宮古ビデンスピローサドリンク

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株式会社うるばな宮古営業担当部長
砂川 丈見
(すなかわ たける)

沖縄県宮古島市出身。
大学進学時に島を離れるも、宮古島の島興し事業である宮古ビデンス・ピローサ事業に惹かれ2006年入社。
宮古島と本州を行き来しながら、それぞれの地域や企業の良さをつなげ、宮古ビデンス・ピローサ事業の商流を膨らませることに喜びを感じる南国気質な営業マン。