きのくに子どもの村通信より
教育学史の巨星たち(4)
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幼稚園の創始者 F. フレーベル
F.Frobel 1782-1852
「子どもの姿で最も美しいのは、遊びに没頭している姿だ。そして遊びへの完全な没頭の後に眠り込んだ姿である。」
「遊びは、内面的なものの自発的な現われ、つまり内面的なものそのものの現われである。」
フレーベルの主著『人間の教育』(翻訳・岩波文庫、玉川大学、明治図書)の一節である。子どもへの共感にあふ れた美しい記述だ。
彼は1840年、幼稚園(Kindergarten)を創設した。
「子どもの花園」という意味である。幼児は花、教師はその世話をする園丁である。
このロマン主義的な子ども観は、彼の「万有内在神論」と呼ばれる哲学から生まれた。
■万物に宿る神性
『人間の教育』は、次のようなことばで始まる。
「すべてのものの中にひとつの永遠の法則があり、作用し支配している。
…この法則の基礎に、すべてのものにはたらきかける、自明の生き生きとした、自覚的な、したがって永遠に存在する一者(統一者)が存在する。…この一者が神である。」
ここにいう神は、いわゆる人格神ではない。万物は、それに内在する絶対的な法則としての神によって規定され支配されているという。
フレーベルの文章は、長くて、言い換えや修飾が多く、けっして読みやすいとはいえない。しかし、その著作には、神性を内に秘めた存在としての人間、とりわけ子どもへの尊敬の念と共感につらぬかれている。
彼によれば、教育とは、子どもの内に宿る神性が外にあらわれ発展するのを援助する自覚的で意図的な仕事である。
■自己活動の尊重
子どもに宿る神性は、「必然的に善であり、善以外のものではあり得ない。」
教師は、これを信頼し尊重しなくてはならない。
そして神性は、子どもの自己活動において生き生きとあらわれて来る (冒頭に引用したように、遊びは、神性が最も自然に神性が外にあらわれた姿である)。
だから教師は、子どもに強制したり、命令や叱責によって支配したりしてはならない。ましてや罰を与えたり、脅したり、恥をかかせたりすることは許されない。
こうした子どもの本性を信頼する教育思想は、ルソーやぺスタロッチにつながるものだ。じっさいフレーベルはスイスに出かけ、二年間、ぺスタロッチのもとで研鑽を積んでいる (のちには批判もしているが…)。
■教育玩具・恩物
万物に宿る神の法則は、万物を深く研究することによって認識できる。
しかし目の前のいろいろなものや現象は、幼児には複雑すぎる。
そこでそれらを明瞭に象徴するような教具が必要になる。
フレーベルは、幼児が具体物で遊びながら、万物に内在する基本的な法則や原理を感覚的に知るための教育玩具を考案して、これを「恩物(Gabe)」と名付けた。神からの贈り物という意味である。
フレーベル自身がつくった恩物は六つある。
第一は五つ (六つ)の色の違う毛糸の球がつるされている。
球は最も完全な形であり、完全という観念や完全な存在としての神を象徴している。幼児ほ、これを眺めたりさわったりして遊ぶ。
第二恩物は木製の球、立方体、円柱の三つからなり、球は動物、立方体は鉱物、円柱は植物を象徴している。
第三から第六は、形と大きさの違う積み木のセットだ。
■日本への影響
わが国で最初の幼稚園は、明治九年に東京女子師範学校に付設された。
教員の中心となったのは、ドイツ人のクララ・ツィンマーマンである。
彼女はフレーベル派の教員養成所の出身だったので、保育はフレーベル方式でおこなわれた。そしてその後の日本の幼稚園は、これをモデルとしてフレーベル一色に染まっていった。
しかしそれは、子どもの内なるものへの尊敬という原点からはなれて、伝統的な道徳と恩物の形式的な使用にかたよった保育になっていった。
日本の幼児教育界が、行き過ぎた恩物至上主義について反省するのは、大正時代に入ってからである。倉橋惣三(のちの日本保育学会初代会長)が、東京女子師範学校(この頃は高等師範になっていた)の主事に就任し、環境構成による誘導保育を提唱して、恩物をほかの観み木と同列に扱ったのである。
今日では、日々の保育に恩物を使う幼稚園は、皆無といってよい。
しかし私たちは、フレーベルの子ども尊重の精神と教育への情熱には深く学ばなくてはならない。
【参考文献】
◇『人間の教育』(荒井武訳、岩波文庫、一九六四年)
◇荘司雅子『フレーベル研究』(玉川大学、一九八四年)