一時期、「強く願えば何でもたいていうまくいく」というような話をどこでも聞くことがありました。そのために常にイメージしやすいよう、ビジュアル化したマップのようなものを作ったり、願いや希望を書き留めたりすると、なおさらに効果があがるというのです。なかにはどうしてもやりたくないこと嫌いなことを列記するとよい、という逆のアプローチもあります。根拠として脳科学的な解説が加えられたり、またはスピリチュアルな説明がなされることもあります。確かにそれは一定の事実のようであり、これらを実践して願望が実現しました、という話もよく聞きます。しかし、私はこれらに対して強い違和感を感じると同時に、もっとシンプルな法則があるのではないかと観察と検証を繰り返してきました。すると、なかなかおもしろいことがわかってきたのです。
自分だけハッピーでいることは不可能
非常におもしろいことに、明確にされた目標なり願望が「自分や家族だけにとってすばらしいもの」というのは、あまりうまくいかないケースが散見されるようです。たとえば、「毎シーズン毎にビーチリゾートに行って、リラックスする」とか、「アルファロメオに乗る」とか「ずっとお金に不自由しない」とか、こういったたぐいのものです。明確化して数年で、本人はある程度叶っているように感じていても、パーフェクトな達成ではないので、やってみた本人が話しているのを聞くと、「そんなに簡単じゃない」と心のどこかで感じているのがはっきりとわかります。たとえ満足がいくくらいに達成されたものであっても、永続性がないというか、一時的なものだったりします。逆に、すばらしい確率で叶っていくものは、自分や家族以外の具体的な誰か(何か)に対する貢献であり、祈りです。当然ながら、人の命には限りがあり、ましてや他人のことなので相手がどれだけ喜んでいるのかは計測不能ではあります。しかし、それを願った本人の心の充足はたとえ完璧でなくても、何かがよい方に変化していくことはエキサイティングで、願った本人をますますやる気にさせます。「人間というものは、世界でもっとも自分のことに関心がある生き物」である、と割り切っていたとしても、法則そのものは自分が幸せになるためには他人の幸せこそが条件になっているのです。財布を黄色にしても、家をパワースポット並みに清めたとしても、雑誌の安直な広告が教えるようなすばらしい結果は生まれません。すべての行為が関係する人の幸せにつながったときにこそ、持続する素敵な気持ちを感じることができるという、実におもしろい結果を生み出します。 「自分探し」なるものにも、同じようなことがいえそうです。自分など探さなくても、もともと自分は自分なのです。目の前に立ち現れ得る出来事に、自分の周りがよりよくなることを求めて出来ることに一心不乱に打ち込むと、ある日突然、いい気分が押し寄せてきます。自分(だけ)がよりよくなるようにということにフォーカスすればするほど、自分の位置がわからなくなってしまうというパラドクスがそこにあります。結局のところ、私たちは他人や社会との関係の中で生かされ、周囲に貢献すればするほど願っていた自己実現が達成されるという、素敵な生き物なのです。
健康ブームの裏側で
健康ブームについて「死んでもいいから、私はどんなに努力しても健康になりたいんです!」という笑い話があります。当たり前のことですが、健康であることは、人のために役立つための要件のひとつです。朝から自分で絞った野菜ジュースを飲んだり、電磁波を消してしまったり、化学物質や放射性物質から遠ざかったりと、自覚的な努力をする人が増えていくことは喜ぶべきことです。しかし、「健康は手段であって目的ではない」と誰もが知っているとしても、真面目な日本人はまっしぐらに健康を目指し、ときとして周りを不愉快にしていることがあったりもします。今までの考察をこの件にあてはめると、「他人の幸せのために望む健康は手に入れやすく、自分の(もしくは家族の)幸せのために望む健康は遠ざかりやすい」ということになりそうです。何についてもいえることですが、あまりに何かに熱中するあまり、何らかの数値が未達成であったり、少し後戻りしたという自覚があると精神的なストレス(思い通りになっていないという気持ち)を誘発します。「健康」をはかる座標には、あらゆる数字がついて回りますが、数字に振り回されていると全体が見えなくなってしまい、何のためにそれを求めているのかすらわからなくなってしまいます。本当に周囲をすばらしい気分にさせることができるのは、難しい顔をして健康を論じる人なのか、くよくよせずおおらかに笑顔を振りまいている人なのか、このような二者択一では論じきれないところがあります。願わくば、充分な知識と豊富な選択枝を持ちながらも、多少の思うようにならないことは笑い飛ばし、何事にも動じず、楽しい毎日を過ごしたいものです。そのためには「絶対にこれだけは許せない」という気持ちをひとつひとつ手放していくほかはなさそうです。
そもそも「素敵なあなた」が目指すもの
こうやって考えてきますと、私たちは実にすばらしい存在であることに気づかされます。つまり、私たちは誰かが幸せになることで、よりいっそう幸せになるという宿命をもって生まれてきているのです。最近のような、難しい世相に身を置かれますと、どうしても生存本能が強く働き、自分のことを最優先しがちになってしまいますし、それは無理からぬところがあります。だからこそ、私たちが心の奥深くで求めているものをもう一度思い出し、自分も他人もすばらしい気分でいられるように自覚的に生きてゆきたいものです。それがどんな困難な状況にも対応する、究極の方法のように思うのです。