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がんになった女医が自由診療のクリニックをつくるまで

なぜ、医師になったのか

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医師である父に影響を受けた

幼少期から活発に動く女の子(お転婆ということ)だった私は、ガラスで腕を切るなど怪我が絶えませんでした。小学校5年生の体育の時間のことです。跳び箱を飛び、一回転半して頭から落ちて、頸椎損傷になり、動くことも話すこともできなくなり、半身不随の状態で半年間寝ていたこともあります。

その後、奇跡的に手足が動くようになり、装具をつけて学校に通学できるようになりました。おかげさまで、今では肩こり程度までに回復しています。

人間の体の不思議さは神秘的としか言い表せません。自然治癒力の偉大さに畏敬の念まで持ちます。

小さいときから、父が医者で病院を開業していたため、本当にいろいろ父に面倒を見てもらいました。父がいなかったら、今日の私はいなかったと思います。本当に父には感謝しています。

父は若いときから、苦労して育ったため、厳しいなかにも本当の優しさを持った人情豊かな人でした。父の厳しさは、当時は、子どもである私には「なんて頑固で怖い父親だ」としか映っていませんでしたが、自分が親になって初めてわかる優しさだったと、今は理解できます。晩年の父は、仏様のようなまなざしで孫を見て、本当に慈愛に満ちた顔になっていました。

「検死」で事件を解決 ドラマのような凄腕の父

父は赤ひげのような医者でした。患者は父の顔を見るだけでも病気が治るとも言っていました。本当に身を粉にして働いていた町医者でした。警察医のボランティアもしており、事件のたびに日夜問わず呼ばれれば、食事もせずに検死に行って難事件変死などを、明快に解決。その腕前は刑事映画やドラマ版で見るようなものでした。腕前と検死の数は誰にも負けないぐらいでしたが、すべてボランティア。寝る暇もないぐらいに忙しかった父の姿を見ていて、私にはまねできないなと思いました。

私はまだ大学生だったと思います。故郷の熊本で初めての世界検死学会がありました。検死の功績が認められたためか、アメリカからは、ケネディ大統領やマリリンモンローを検死した医師たちが、熊本の実家に会食に来られて歓談しているのを、びっくりしながら聞いていた記憶があります。今思うと父はすごいことを実行していたと改めて思いました。私も検死に連れていってもらったことがありましたが、初めての日に、「二度目の検死はない」と思うほど独特の雰囲気でした。そのあとは食欲も無くなりましたが、父は、「火事後の検死後は、焦げた焼き魚はいただけない」などと言いながら食事をとっていた記憶があります。

小学校の卒業文集に書いた 将来の夢は「医師」

父のエピソードは沢山ありますが、医師としてもとても尊敬できる人でした。そのような環境で育った影響も大きいのでしょう。半身不随になりかけた小学生のころ、人の役に立つ仕事は何なのかと真剣に考えたのもあり、医師になること以外、あまり選択肢を持っていなかったのだと思います。小学校の卒業文集にも、将来なりたい職業を医者と書いていたようです。還暦である昨年の同窓会で、その卒業文集を見せてもらったときには、記憶になかったのでびっくりしました。子どもの時の決意が大人になっての自分自身を形づくっているのだなと感じました。マザーテレサやナイチンゲールのようにはいきませんが、体が動けるうちは何か人さまの役に立っていければいいなといつも初志を忘れずに診療をおこなっている毎日です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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クリニック真健庵 院長
 医師 吉村 尚美(よしむら なおみ)

全人的医療を目指した自由診療のみのクリニックを開業。食事療法をはじめとし、腸内洗浄や遺伝子治療などの最先端医療を行っている。放射線科専門医、アンチエイジング専門医、サプリメントアドバイザー、メディカルアロマテラピストなど幅広い資格を取得。著書に『「平熱37°C」で病気知らずの体をつくる』など。

クリニック真健庵
〒108-0074 東京都港区高輪4-18-10
TEL: 03-6447-7818
土曜午後・日曜・祝日・休診(完全予約制)
http://clinic-shinkenan.com/

- がんになった女医が自由診療のクリニックをつくるまで - 2017年2月発刊 Vol.113

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