陣痛促進剤を使われたあとの産後生活が、実際どんな感じだったか。を書こうと思います。
マイナス要因がいくつかあるので、「薬剤の副作用」の可能性に気づけたのは、ヤマを越えてからです。
産後の私は、ひと言でいうと、泣いてばかりいました。よくある話ですよね。
上二人のお産の時と比べて、自分が泣いてばかりいるのは不自然だとわかっていました。生まれた子に(体重が少ない以外)何も異常がないのは幸いでしたが、異常がないのに陣痛促進されたという不満がどうしても残ります。しかも経験したことのない、辛くて充実感のかけらもないお産。なんで断固として医療介入を拒否しなかったのか、自然な陣痛促進をもっと寝ないで頑張ることもできたのではないか。と、赤子にも申し訳なく、消しても湧いてくるネガティブな感情が、自分の不安定さを招いていると思っていました。
また、不本意なお産をさせた病院では、不本意な入院生活も強いられます。赤ちゃんと添い寝しづらい環境であったことは前述しましたが、大病院は、子どもが見舞いに来ることも禁じます(よくある話です)。
上二人の子どもたちに会いたければ、私が数階下の面会室に降りるしかなく、産後に動き回ることでの長期的なリスクを回避したければ、上の子たちと会うこともままなりません。すると、上の子の面倒を見ている旦那さんもやってきません。祖父母は年だし遠方だから来ない予定だったので、私はずいぶん孤立無縁な状態で、慣れない環境での数日を過ごしました。
さらに、赤ちゃんへの授乳について、病院側との戦いにも似たやり取りがありました。詳しくは後述しますが、おっぱいだけは豊富に出る私が、上二人の時より「乳が出ない」ことに気づくくらいのストレスでした。あ、でも、病院の基準ではちゃんと出ていたらしく、私の不安は、まったく相手にされなかったんですけどね。
総合的に自分のヤバさを感じ、あらゆる水分にフラワーエッセンスのエマージェンシーエッセンスを入れました。普段はやらないのですが、バッチとブッシュ、両方とりました。ホメオパシーのレメディ(主にStaph.)も定期的にとり、かつて「さらり・すらり茶」のパッケージを飾っていた、「整えてくれる模様」の入った紙も、身につけていました。これ以上冷やすとまずい、と思い、靴下を重ねばき、アルファウェーブのお世話にもなり、気持ちの乱れが自分を冷やしても、物理的には冷えないように心がけました。
そのおかげで、深刻な鬱にはならなかったのかもしれないです。
結局、「副作用」の可能性に気づいたのは、夢がきっかけでした。何度も繰り返し、レイプされる夢を見ました。不本意なお産の象徴かな、と思っていたのですが、からだの反応が不自然でした。
退院してからも繰り返しそういう夢を見るので、不審に思い始めたころ、促進剤がオキシトシンであることに思い至りました。オキシトシンは、セックスの時にも出てくるホルモンです。自分がホルモンバランスを崩していること……薬剤が内分泌疾患を引き起こして、うつっぽいのかもしれないこと。に気づくと、少し楽になりました。
産後うつ、と簡単に言いますけど、うつ状態に見えるママの周囲の方は、医療介入の種類を検討すれば、解消へのアプローチが増えるかもしれないです(本人はそんな余裕はないと思います)。陣痛促進や、乳汁分泌促進のための投薬など、ありがちな処置が、母の辛さを生んでいる可能性があります。
ちなみに、医師に、何由来のオキシトシンなのか、聞いてみましたが、考えたこともなかったらしくて、返答がありませんでした。医師にとって薬は薬で、それ以上の意味はないのでしょう。なので自分で調べたところ、「家畜」由来だったようです。
こういうことを書くと非科学的だとわらう向きもあると思いますけど、産後、靴下を4足重ねた足の裏に、見たこともないような白い脂のようなものが溜まり、こそげ落としました。まさに肉の脂っぽかったので、「家畜」だなんて、すごく納得です!私がビーガンだった頃なら、さぞかし嫌だったろうと思います。
次回は、病院との授乳を巡る戦いについて、詳細をお伝えしたいと思います。授乳する機会のある方、その周囲の方は、ぜひご覧くださいね。
望月 索(もちづき・さく)
室内履きは病院では必須ですから、温めるものがいいと思います。