アラーム音と電気の子守唄
かつて病理や解剖学を扱う大学の博物館で、異形の胎児のホルマリン漬けを見たことがあります。
自分に引き寄せて考えられるほど想像力のなかった若い頃の私は、妖怪にはちゃんとモチーフがあったんだね~と、同行者と話しました。
その博物館にいたのは、おそらく生まれなかった子どもたち。
私の子がいる入院室にいたのは、生きて動く、それまで会ったことのない赤ちゃんたちでした。
外科的に形成されれば済む? と思う子もいれば、人のかたちを外れた子もいました。
陣痛促進されて産まされてひと晩。
疲れも取れず、ホルモンバランスも崩れたままの私は、その光景が衝撃で、とにかく怖かった。
一生懸命周囲を見ないようにしながら、自分の子どもの保育ベッドまで案内されました。
独特の青いライトに照らされたその部屋は、機器が発するアラーム音や電動式のゆりかごがゴンゴン動く音や、耳障りな電子の子守唄でいっぱい。
赤ちゃんの泣き声も入りまじり、ひどくうるさい異空間でした。
あとで聞いたところ、泣き止まない赤ちゃんのために、電動式ゆりかごがあるそうです。
マンパワーに限界があるのはわかりますが、慰めになっているというより、激しく揺らすことで黙らせているように、私には見えました。
その部屋の隅っこに、青いライトに照らされ、薄緑のゴム状の何かをくわえさせられたうちの子が横たわっていました。
何かの管に見える。
うちの子は健康なはずなのに、外の世界で出会うことのない子どもたちがいる部屋で、何かをくわえている。
混乱した私は、自分の子の保育器に手をついて、その場でパタパタと涙をこぼしました。
その場にいた看護師が軽く引いていました。
部屋に戻ってからも、事あるごとに泣きました。
陣痛促進剤の副作用に気づいたのは、ずっとあとのことです。
泣いてばかりなのは、医療介入されたお産の疲れと、子どもと引き離されたこと、そしてセンシティブな時期に入院室でショックを受けたことで、おかしくなっているのだと考えました。
とにかく自分のヤバさを感じ、レメディとフラワーエッセンスのお世話になり続けました。
重い重い、現場
じんわり暗い雰囲気を纏っているのは私だけではありませんでした。
私は二人部屋で、隣のベッドにも産後の母がいました。
その人も、産んだ直後なのに赤ちゃんがいない……。
そちらの赤ちゃんは「NICU(新生児集中治療室)から生きて退院するのが目標」でした。
私は、自然分娩のあとと同じように、順調に乳が出ないから、母乳育児に失敗するのではないかと悩んでいました。
その方は、自分に乳が出ることに驚いていました。
NICUの子どもへの点滴(?)に初乳を1滴混ぜてもらうために、帝王切開のあとの不自由な身を起こして、その人は、搾乳機で搾乳していました。
一度も赤ちゃんにおっぱいを吸われたことがなく、その後も吸われる見込みはなかったのです。
赤ちゃんを入院室に取り上げられる私が怒って、医師と押し問答している様子を、どのような思いで聞いてらしたろうと思います。
私が赤ちゃんを取り上げられた夜は、その方が、赤ちゃんを置いて退院する前の夜でした。
ベッドで抑えきれず、何度も泣いてらした横で、私もまともに眠れずにいました。
重い重い、現場でした。
微妙に精神を蝕まれながら。
でも、引き離されるのはひと晩だけ、と自分とわが子を慰めていました。
ところが赤ちゃんは、入院室に入った途端、体重が増えなくなりました。
小さく産まれた子が大きく育たない。
初めての事態でした。
続きます。
プレマ株式会社東京スタッフ
望月 索(もちづき さく)
8歳、5歳、1歳の三姉妹の母。
人一倍不摂生な出版仕事人が妊娠、出産、育児と経験を積むうちに、気づくとハードコアな自然派お母ちゃんに。
編集、ライター、プレマの東京スタッフ。
編著に『子どもを守る自然な手当て』、訳書に『小児科医が教える 親子にやさしい自然育児』など。
楽だから自然なお産ご質問などは下記ブログまで
http://macro-health.org