質問: 私の子どもはアレルギーです。私は必死に玄米菜食を中心にした食事に改善し、砂糖やミルク、添加物の入ったおやつなども絶対に与えないようにがんばっています。しかし、祖父母はそれを理解してくれず、食べさせたくないお菓子を与え、私が必死に考えてやっていることを「孫がかわいそうだ」という言葉で咎めようとします。もちろん子どもたちは私よりおじいちゃん、おばあちゃんが大好きです。そんな私の父母を許せませんし、悲しいです。いったい私はどうしたら良いのでしょうか。 (滋賀県 M様) |
答え: お子さまのアレルギーを食事で治したいと思っているお気持ちは大変理解できます。まずそれが王道であることも間違いありませんから、このこと自体はぜひ継続していただきたいと思います。 よくあることですが、真面目で勉強家の方ほど自分の知ったこと、またやっている正しいことを、周りにも理解して欲しいという気持ちが高まります。それは「どうしてこの正しいことをあの人は理解できないのか」という、満たされない気持ちです。この気持ちがときとして、不満感や絶望感の原因となってしまうことも思い出す必要があります。つまり、「・・・べき」であるという考えや気持ちは、その期待通りにならないときに相手に原因を求めてしまうことになりがちです。その結果、相手を変えたいという気持ちが高まり、それは時として怒りや失望感に変容します。 アンガーマネージメントと呼ばれる怒りをコントロールする方法論では、この怒りや失望感の根本原因になる信念のことを「絶対的信念」と呼んでいます。絶対的信念は、幼少期の経験から自然に個々人の中に構築されるようで、ある出来事に対する反応を自動的に引き起こすようになります。たとえばあなたが車を運転していて、交差点にさしかかり、左折を試みようとしたとき、カップルがいちゃつきながら横断歩道をノロノロ歩いているとします。他には歩行者がいないし、後ろからは後続車がたくさん並んでいる状態を想像して下さい、あなたならどう感じるでしょうか。ある人は「横断歩道はまっすぐ早く渡るべきだ」と怒りを感じ、ある人は「横断歩道でいちゃつくなんてあり得ない」と憤り、ある人は「横断歩道では左右を確認して渡り、交通の迷惑にならないようにするべきだ」などと考えます。または後続車のイライラを受けて焦ってしまう人もいるでしょう。いずれの感情を抱いた時にも、心は波立ち、動悸を感じ、血は頭に昇り、手足は冷え切って、感情だけでなく体にまで反応を及ぼすことを実感していただけるでしょうか。 この話のたとえでは、そこで何がきっかけになって絶対的信念が顔を出し、そのあとどういう反応が自分自身に起こるかを、文章を読むという行為で、客観的に見ています。まさに鳥が上から状況を眺めているような感じですね。実は人間の中には別の第三者が住んでいて、あなたの感情の動きを眺めているように感じることができるのだ、と考えてもよいかもしれません。終始そこにたどり着けるだけでも、出来事に対する反応は大きく違ってきます。確かにそれは難しい練習かもしれませんが、頭のなかで何度も何度も反復練習をしておくこと、呼吸法などの訓練をすることで、かなりの悲観的状況から冷静さを失わずに対応することが可能になってきます。 ここまで読まれますと、「悪食がアレルギーを引き起こすという信念は幼少期に得たものではない、大人になって本から学んだのだ」とお感じかもしれません。しかし、ぜひこの冷静さをもったままで、ご両親がお孫さんに甘い物を与えた瞬間のことを思い出していただきたいのです。そのときにはどんな感情が起きていたでしょうか。また、その瞬間にあなたはどのように反応していたのでしょうか。その瞬間的に起きた衝動は、あなた自身が子どもの時にあなたが両親に対して起こしていた反応と似ていたり、象徴していたりしないでしょうか。 ここに目を背けることなく、冷静にたどり着くことができさえすれば、あとの出来事は変わってくる可能性があります。非常に落ち着いた状態で、日や場所を変えてご両親とご自身の子どもの時にご両親があなたに向けて下さった愛に感謝を述べながら、最近あなたが学んだことをかみ砕いて説明できたとしたら、状況は今とは変わってくる可能性を感じませんか。子どもさんたちは祖父母の方が好き、という感覚ですら、ほんとうにそうなのか、好きとは絶対比較ではないかもしれないと思えてくるかもしれませんね。子どもは想像以上に私たち大人の反応をよく観察しています。それはあなたが昔、そうであったように、です。 また別の発見も可能です。玄米菜食自体は素晴らしいことと思いますが、ほかにも多種多様な食事療法があります。これだけが絶対的に正しい、と感じてしまうことが、ほかの可能性を閉ざしてしまう可能性も否めません。食事をただすことは人生を正すこと、というのも正論ではありますが、あなたもたとえば砂糖と生クリームのたくさん入ったお菓子を突然食べたくなっているかもしれません。それをなんとか陰陽の理屈で押さえ込もうと試みて常に勝ってこられたかもしれませんが、私は負けてみるときがあっても良いのではないかと思うのです。そんな甘っちょろいことでは現代の商業主義の波は超えられないとお感じかもしれませんが、たまには誘惑にも自由になって、食品に限りなく近い優れた健康食品を併用することも含めて考えてみるのもひとつの方法です。 |