昨年の大晦日の夜、夫と私は久しぶりに仲違いをしてしまいました。なにかと意見も気も合う私たちにとって、仲違いは珍しいこと。もちろん違う歴史を歩んできた2人ですから、個性や考え方の違いは当然あります。しかし、仲違いにまで発展することはごく稀。それなのに「よりによって大晦日に」と思いきや、雨降って地固まる。新年には、大切な学びが待っていました。
わが家は仲違いをすると、不思議と夫が体調を崩し、妻が元気になります。その日も夫は早々に床に就き、一人残った私は年越し蕎麦をすすりながら、仲違いの起こりを振り返っていました。すると、「優しい人たちほど離婚するのよ」という、ドッキリな言葉が聞こえるではありませんか。思い余って離婚を考えていたわけではありませんが、その言葉は、5年前、尊敬する治療家の先生に教えていただいたのです。
優しい人たちほど離婚するなんて、逆のように思いませんか? なぜ優しい人たちほど離婚するのか。私なりに理解した、その言葉に隠された真意をお伝えしたいと思います。「もっと自然体で調和的な人間関係を築きたい」と願う方、また次のような方のお役に立つと思っています。
・人が好きなのに人に疲れてしまう
・つい人に合わせてしまいがち
・自分軸という感覚がつかめない
・自分って自己中心的?と悩む
あなたは何拍子?
まずは、質問から始めましょう。3拍子と4拍子が出合うのはいつでしょうか? それは、12、24、36と、3と4の公倍数ですね。3拍子も4拍子も、それぞれ自分のリズムを刻み続ければ、公倍数のタイミングで出合います。無理に合わせようと努力しなくても、自然と合う瞬間がやってきます。
しかし、優しい人たちは、相手に合わせようとするあまり、自分のリズムを変えてしまいます。たとえば、3拍子は3.3拍子を刻み、4拍子は3.8拍子を打ってみる。すぐには噛み合わないので、今度は3拍子が3.7拍子に、4拍子は3.5拍子に。これまた合いません。
互いにあれこれ試してはすれ違い、不自然なリズムゆえに調子を崩す。調子はずれとはよく言ったものです。その果てに「私たち相性が合わないのね。別れましょう」なんて、悲劇の結論に至ってしまう。残念すぎますが、これが「優しい人たちほど離婚する」の真意です。
合わせないから、調和する
この言葉は、「真の調和」とはなにかを思い出させてくれます。自分の拍子を相手に合わせることではなく、それぞれが自分の「自然な拍子」を刻むこと。それが真の調和だと教えてくれました。合わせようとしなくていいんですね。なぜなら、自然は調和するようにできているから。
自分の「自然な拍子」というものを知ることの大切さも教わりました。誰もが、無理なく楽に、自然と刻んでしまう美しい拍子を持って生まれています。一人ひとり違う拍子が集まり合わさって、調べになります。その調べこそが、真の調和。多様性から成るダイナミックで、たおやかで、力強く、美しい調和です。
さて、大晦日に起きた私たち夫婦の仲違いに話を戻しましょう。どちらかが我を通そうとしたから起きたわけでも、意見の相違のせいでもありませんでした。家事分担の問題でもありません。夫も私も、お互いをおもんばかるがあまり、引き起こしたすれ違いでした。旧年最後の学びを糧に、いまは自分のタイミング、自分の感覚を大切に、再びそれぞれの拍子を刻み始めました。わが家には、新たな調べが鳴り響いています。