もつれた華奢なネックレスのように。絡まった絹糸のように。人間関係がもつれてしまったとき、私たちはどうしたらよいのでしょうか? 誰かとの間にできてしまった、細い針さえも入り込む余地のない固い結び目。さて、どう解きましょう。力づくで解こうとするのか。途方に暮れ諦めてしまうのか。はたまた、面倒になり、絡まった糸や鎖を「エイっ」と断ち切ってしまうのか。かといって、スッキリするわけでもない。そんななかでも多いのは、言葉を用いるケースではないでしょうか? 言葉で説明したり、解釈したりしながら解決を試みる。これが鎖や糸ならば、時間をかければ解けることも多いでしょう。一方、人間関係のもつれとなると、言葉を重ねてもうまくいかず、むしろ互いが発した言葉で余計にこじれることも多々。人間関係のもつれとは、切ないほど厄介で逃げ出したいほど手強い。そう感じている人も、多いのではないでしょうか。
言葉でなければダメですか?
かくいう私も、30代後半までは、言葉に頼れば頼るほど、言わないでいいことを口走ったり、相手の言葉に思い悩んだりの繰り返しばかり。「言葉ってなんて厄介なの!」と、言葉の糸がもつれるたびに嘆いていました。
そんな私に転機がやってきます。それは、感性のスイッチを入れる達人、エドウィン・コパード先生との出会いでした。先生の驚くべき「言葉に頼らず相手を理解する力」に触れ、伝授されたことで私の人生は変わりました。
エドウィン先生は日本語の読解力は皆無にもかかわらず、受講生の発言を通訳なしで理解してしまうことが多々ありました。あまりの衝撃に「どうしてわかるのですか?」と問うと、先生は「感じるから」と笑って答えるばかり。
いまなら、それはリラックスして相手に楽に意識を向けていれば、感性というアンテナが言葉以外の情報をキャッチするからだと理解できます。しかし、当時の私は「言葉を尽くせば理解し合える」「言葉が足りないからわかってもらえない」と思い込んでいる言葉依存症でしたから、エドウィン先生の「言葉に頼らず相手を理解する力」は衝撃的であり、魅力的でした。
音ならほどけるかもしれない
エドウィン先生に教わったことのおかげで、私の人間関係のもつれは劇的に減り、もつれても解くことが以前よりも容易になりました。なかでも、「耳を傾けるのは、相手の言葉ではなく音」という教えが、私の人生を変えたと言っても過言ではありません。
とくに、亡き父との最期の5日間は、まさにその教えを実践する日々。もう言葉を話すことができなくなっていた父の呼吸や、父が醸し出す気配といった「音」に耳を傾けていると、父との深いむすびつき、つながり、そして至福感が胸いっぱいに広がりました。きっと父も同じだったのではないかと思います。父が旅立ったあとに寂しさよりも一体感や幸福感が残ったのも、音のおかげでしょう。
最後に、言葉の限界にぶつかっていた私が、音の可能性に目覚め始めたころに書いた歌詞の一部をどうぞ(曲はCDに収録されています)。相手と自分の音に耳を傾けることで、もつれてしまった言葉の糸が、ほどけますように。
もつれた糸 作詞作曲 賀集美和
言葉で伝えるたび
失敗ばかりしているの
言葉は交差するばかりなの
だから この声にのせ伝えたい
だから この音にのせ伝えるわ
隠さない私の心 どうか閉ざさないで
もつれた糸はうまくほどけないけど
音なら ほどけるかもしれない