以前ご紹介した「自分は素晴らしい」とつぶやき続ける(6月号・5月号を参照)ということを、私自身、徹底的に実践してみることで、実際に100%完全に自分を肯定することができました。
100%完全に自分を肯定することができたということは、それ以前は、自己否定の気持ちがあったのだということです。
そして、その自己否定の思いが、心のどこかに「自分は満たされていない」という思いを作ったということがわかりました。
満たされない思いがあると、その不足している部分を満たしたい、という欲のエネルギーを発生させます。
人に認められたい。
ほめられたい。
お金がほしい。
時間がほしい。
……などなど。
そして、その欲を満たそうとしていろいろもがきますが、結局ほんとうに欲しいものではありません。
どれだけ得られたとしても、満足することが無いため、いつまでたっても気持ちが落ち着かないのです。
では、本当に欲しいものとはなんでしょうか。
それは「自分自身からの愛」です。
その感覚は人によって違うだろうと思います。
ある人にとっては、自分のことが好きで好きでたまらない!と思うことかもしれませんし、ある人にとっては、こんな自分でよかったんだという、あきらめのような境地かもしれません。
また、今まで苦しみも喜びも一緒に体験してくれてたんだね、ありがとう!という感謝の気持ちで、気づくという人もいるでしょう。
それぞれ感じ方に違いはあると思いますが、ひと言で表現すると、頭の自分(マインド)と肚の自分(ソウル)が相思相愛になることなのです。
そして、大切だと思ったのは
「『自分は満たされていない』という思いは勘違いだった」と気づいたことです。
実際に気づく前と、気づいた後で変わったことといえば、「どんな自分でもダメじゃなかったんだ」
ということだけでした。
マインドとソウルはそもそも相思相愛
生まれてきたときは、実は、自分のマインドとソウルは相思相愛(不可分で一体)だったのではないでしょうか。
そして、育っていく過程で、いつしか、このままの自分じゃダメかもしれない、やっぱり自分はダメなんだという情報を刷り込んでしまったのです。
相思相愛がなくなったわけではなく、「自分はダメな存在」という情報で見えなくなっただけです。
気づく前はそんなものはどこにもないと思っていましたが、気づけばこれはだれにでもあるものだと確信できます。
この話をお伝えしても、今はまだ「そんなこと信じられない」と感じているかと思いますが、仮に「満たされていないという思い」が全くない(完全に満たされている)という前提に立って考えてみましょう。
それまでは、満たされていないから「欲しい」という思いが湧いてきていました。
仮に満たされていたとしたら、満たされているどころか、あふれるほど持っているとしたら……「あげる」という思いが出てきます。
例えば、お金がないと思っている人は、いつもお金がほしいと感じています。
逆に言うとお金がほしいと思っている人は、自分にはお金がないという前提を持っているということです。
同じように自分が不幸だと思っている人は、幸せになりたいと感じています。
幸せになりたい人は、自分のことを不幸だという前提を持ってしまっているということです。
つまり幸せな自分を手に入れるためには、自分は幸せなんだという前提に立って、目の前にいる人に幸せを「あげる」必要があるのです。
お金を手に入れるためには、自分は大金持ちなんだという前提に立って、見ず知らずのひとにお金を「あげる」必要があるのです(「それはちょっと無理!」という心の言葉が聞こえてきそうです……)。
つづく。