「障害者が自分で考え、進む方向及び実践方法を決め、行動し、その結果をふまえて、一つずつ前に進む事で自分の世界、可能性を拡げていくやり方を身につける事が基本です。そのためには障害者自身が自分の心身の状態、自分をとりまく環境、生活の場、家族、施設、ヘルパー、ボランティアと関係、及び福祉行政の事を知ることが自立への第一歩です」と語る「自立生活センターまんた」代表の長位鎌二郎さん。奄美徳之島出身で、障害者の自立への活動を全国各地で続けてきています。数年前に宮古(島)市平良で「まんた」を開所し、その活動は拡がっています。自身が重度の進行性筋萎縮症で、ここ数年、症状は進行し、私との名刺交換の際、名刺を指で持つ事はできませんでした。その時の私の一瞬の動揺を敏感にとらえた長位さんは明るく笑いながら「私は自分の症状の進行状況を悲嘆していません。それは自分の病気の事をよく知っているからです。症状が進行してゆけば、今まで自分でできていた事がどのようにしてできなくなっていくのかを理解しているからです」と淡々と語る。「障害者が自立をめざす時に何が問題になり、壁となるのか、それをどのような道筋をたどって解決していくのか。私たちが障害者だからこそ解決への方法を提起し、支援できる事がたくさんある。それでもできない事はどんどん出てきます。その時、まわりに協力支援をお願いします」。具体例の話が約二時間半続きました。私は感動と自省の連続。内容は後記します。
東内原旭さんと手作りミニゾウリ
八重山出身で宮古(島)内のある福祉施設に33年間入所していたが、今後の生き方に悩み続け「まんた」で自立訓練を経た後、現在、ある共同作業所に通っている東内原旭さんを紹介します。彼は脳性麻痺症で移動は松葉づえか車イスです。生活は訪問ヘルパーが関わっています。自宅兼作業所の「一歩(ひとまた)工房」でニミゾウリをつくり販売しています。携帯電話のストラップ、財布やカバンのアクセアリー、車内や室内の飾りなどに利用されています。ミニゾウリの包装には粋な製品名「しあわせの小さな一歩」と旭さんの思い「幸せの小さな一歩 自分の夢に向かってほんの小さな一歩でもいいから一歩ずつ歩めば向かうから寄って来る願いを込めました」と書かれています。彼が市内の書店その他で販売する際の案内文を紹介します。
― 一歩(ひとまた)工房 ―
「私は脳性マヒです。リハビリの一環で毎日のようにミニゾウリを作っています。このミニゾウリはおじいさんから教えてもらいました。手が震えながら作り続けてきました。このゾウリの願いは「交通安全」を願って作っていたけれどみなさんが目標に向かって、小さな一歩でも歩いていたらいつか目標が向こうから近づいて来ると思います。私の手の震えもいつかなくなることを信じています。みなさまも何事にも向かって一歩ずつ進む願いを込めて進んで行けば、自分自身の励みにもなると思います。どうぞこのミニゾウリを見て、宜しければご購入頂きたいと思います。一個300円です。
宮古島市平良ひとまた工房 東内原
旭販売案内問い合わせ
ヘルパーステーションみつば 照屋恵美 0980-75-3043
ブックスきょうはん宮古南店 0980-79-0013
約20年前、私が障害参加の共同農場づくりを始めた時に旭さんは参加したとのことです。しかし、残念ながら、この共同農場づくりの構想は数ヶ月で挫折し、彼とも宮古の平和運動の現場でしか会う機会がほとんどありませんでした。私が有機農法から自然栽培への転換を試みる中で様々な変化が起きました。旭さんとの再会もその変化の中で起こった事です。野菜果樹キビの自然栽培も含め、障害者、高齢者、子どもたちが参加できる農場づくりにぜひ参加したいと熱望していました。
川平 俊男 1950年米軍統治下の宮古島で生まれる。家業は農業。自然豊かな前近代的農業、農村で育つ。69年島根大学へ留学。趣味は器械体操といたずらを考えること。70年代から親の家計を助けるため那覇で働く。「オキナワーヤマトユイの会」に参加し援農活動の受け入れ。「琉球弧の住民運動」事務局に参加し奄美琉球各地域島々の地域づくり島興し運動を支援。沖縄農漁村文化協会を結成し農漁業、農漁村の未来像の研究を続ける。宮古島に戻り農業をしながら自然塾を主宰し、農的学習法を編み出し、地域教育に取り組む。一方で農作物の研究および生産を始める。多くの生産者が作っても売れない事情を知り販路拡大の応援。95年ごろ「宮古の農業を考える会」を結成し有機農法の普及拡大と循環型社会づくり運動を始める。有機農法の限界に気付き、無農薬無肥料栽培に進む。10年前から親の介護を続ける。 |
プレマ株式会社の『宮古島プロジェクト』 宮古島の自然農法を推進し、島の健全な地下水と珊瑚礁を守り、お客様に安心と安全を届けます。 |