皆さま、はじめまして。安仁屋政高と申します。沖縄県宮古島に拠点をおく健康食品会社に勤めており、縁あってこのたび執筆させていただくことになりました。変わり者とよく言われますが、私の文章が少しでも多くの方の役に立つことを願い、筆をとります。
『実績なき人に発言権はない』。これは私に大きな影響を与えた人物の言葉です。なんとも厳しい言葉ではないでしょうか。これを実践すると、ほとんど発言できなくなります。……実は何を隠そう、私の母の言葉です。母は大学の研究者で、とても謙虚な人でした。その謙虚さは実績以上のことは発言しない、という姿勢からきていたのでしょう。しかし、実績を作るための努力も並々ならぬものがあり、生活の一端を紹介しますと、朝食を作る時も英語のラジオ放送を聞いて勉強し、寝るときも布団の中にまで論文を持ち込むというものです。努力をするとはこういうことだと背中で教えられてきた気がします。私は母ほどの努力家にはなれていませんが、この言葉が大いなる呪縛となって私の行動原理の基準、信念となったことは間違いありません。発言するときには常に自分の実績を考えるようにしてきました。
例えば、環境問題・農業問題に常々異論を唱えたかった私は、まずは自分で作らなければ! と、素人ながらに化学肥料、堆肥、除草剤を使わずに約30種類の野菜を栽培しました。ところが、2年間悪戦苦闘したのですが、ほとんど失敗に終わりました。家庭菜園レベルなら可能でしょうが、事業化するには相当な年月がかかると実感させられました。これでは実績になりません。そんなことがあり、本格的に自然農業に取り組まれている方の努力や実績には畏敬の念を抱いており、同時に知った顔して農業の何たるか、などとは発言しないようにしてきました。
ところが最近はその信念を覆さなければいけないのではないか、と思うようになってきました。時代が動くスピードが速すぎるのです。例えば宮古島では、私が住んだ、たったの6年間だけみても、山が削られ、新しい道路がどんどんできて、海岸の生物も種類が減りました。もっと視野を広げると、お隣の中国の環境汚染問題もあれば、地球温暖化・砂漠化による気象異常など、利益追従型の人間の活動のしっぺ返しの足音がいよいよ大きくなってきたように感じます。『実績が出るまでは言いたいことを言わない』では間に合わないと思い始めたのです。
そこで現在は『恥や外聞は気にせず、ロクな知識や実績がなくても思ったことを発言しよう』という姿勢に切り替えました。気を悪くされる方もいらっしゃるかもしれませんが、もしかすると、その発言が誰かのスイッチになれば、と思うようになったのです。
何を隠そう、弊社が取り組んでいる“宮古ビデンス・ピローサ事業”は20年間かけて、ようやく今、花開こうとしている事業です。私はまだ入社して今年で10年目ですが、当時はこの事業を笑うものが少なくなかったと聞いています。やってみなければ分からない、奇抜だと思える行為が数十年後には評価される、ということがあるということをこの事業から学びました。大事なのは『きっと成る』という信念です。ですから私もその信念をもとに、『走りながら発言をする』という姿勢に切り替えたのです。農業に限らず、公共事業や医療の分野についても、一部の専門家に任せるのではなく、私たち個人個人の経験をもとにした議論・討論の声がその時代の執政者に届く、届ける、働きかける、ということが重要ではないでしょうか。ポツリポツリと沸き上がった疑問や経験を、皆さまに語り掛けてみたいと思います。
安仁屋 政高 株式会社武蔵野免疫研究所 学術担当部長。 1976 年生まれ。大学時代は沖縄県西表島にある研究施設で約3年間、海の貝について研究。大自然の中、裸一貫で生きる生き物達の姿に魅了され、卒業後は沖縄県の生物調査会社に勤務して海、山、川の生物の調査。しかし公共事業の在り方に疑問を持ち、退社。現在は自然にも、人にも優しい“宮古ビデンス・ピローサ事業” を世に知らしめるべく奮闘中。 |