本誌がお客さまのお手元に届くころには、新しい元号が発表されていることかと思います。一つの時代を一緒に生きた私とあなたさまと、少し思い出を共有して、次の時代に繋いでいきたいと思いますので、お付き合いください。
世界観の変化
私が昭和天皇の崩御を迎えたのは、高校三年生の冬のこと。進学クラスにいた私の周りの学友たちは、進路が決まっている人とこれから受験をする人が混在している時期で、ピリピリした空気が流れていました。当時、私はアルバイトに明け暮れていて、家には病に伏している養母が一人で待っていました。世帯としての収入は私のアルバイト代だけで、生活保護でなんとか生きている、という状態だったのです。そのような状態ですから、担当のケースワーカーさんと進学について何度も話し合ったのですが、当時も、そして今も「生活保護世帯の子どもの大学進学は認められない」というスタンスで、もし大学に行けば生活保護は受けられなくなり、生活費と医療費はすべて学生である私が負担しなければなりません。いろいろな策を練ってはみたのですが、どう考えても高額の学費を払いながら二人分の食い扶持を確保し、さらに医療費まで負担できるような方法はなく、私のなかでは進学の道は見いだせませんでした。
当時、世のなかはバブル真っ盛りで、昭和世代と言えばバブルを謳歌したと言われますが、私にそのような実感は一切ありません。唯一のバブルの思い出といえば、アルバイトで配達していた新聞の折り込みチラシが新聞本紙の何倍もある分量で、結構なチラシ手当が給与明細に書き込まれていたことくらいです。これはこれでありがたかったのですが、次々進学が決まる同級生たちを横目に見ながら、私は冷め切っていて、この資本主義の構造自体が悪いのだ、社会の仕組みが悪いのだ、世のなかの底辺からパラダイムを変えてやる、と意気込んでいたのです。不遜で恐縮ですが、当時は天皇制にもその原因があると思い込んでいて、「天皇崩御など、自分には何の関係もない。むしろこの制度が自分を含めて底辺を苦しめ、日本をだめにしている」とまで思っていました。その一方で、陛下が崩御されたときには、もしかしたら空が暗くなるのではないかと、少し恐怖しながら天を見上げていたのは、日本人としてのDNAが内側から騒いでいたのかもしれません。
高校卒業後は当然、厳しいことばかりでした。自分は底辺で労働して、労働者の気持ちを真に理解しなければならない、といろいろな職を選びながら働き、さらに本を読み、政治や平和の活動をしていたのですが、働きながらの在宅介護は楽ではありません。1日15時間以上働き、朝には新聞を何紙も読み比べながら、もう私は限界でした。自分の境遇を恨みながら、世のなかを呪っていたのです。○○がないから、という前提で世界を眺めていると、この世は足りないことばかりです。私は疲れ切って、ベッドから動けない養母に心ない言葉を発し、彼女は苦悩のなかで旅立ちました。いくら悔いても、やり直すことはできません。私にとって平成とは、その弔いのような日々だったのかもしれません。
その後、幾度となく神風が頭上に吹き、この会社を創業して20年を経ましたが、私のなかですっかり変わっていたのが、「○○がない」という世界観から、真っ暗な底辺を経て、「○○があるじゃないか」と何かにつけて思えるようになったことです。
戦争、そして大災害
日本人が多くの犠牲と加害のもとに平和を手にして、成長を謳歌している時代にも、世界では多くの戦争や紛争が続いていました。これらを報じる記事を読むたびに、人間とはどれだけ愚かであり続けるのだろうかという疑問が消えません。そんなさなか、8年前の東日本大震災に遭遇して、多くの日本人は今までのやり方に疑問を感じながらも、生きていることの幸せを噛みしめたはずでした。しかし、平和ぼけとは恐ろしいもので、どれだけの理不尽が世界に溢れていたとしても、日常の気持ちよさから離れることは難しく、紛争地に命がけで行くジャーナリストに対して、指先の動きだけで「自己責任」のレッテルを貼ることにもまた、気持ちよくなれるのです。慣れきった私たちの日常に、今上天皇は在位最後のご生誕におけるお言葉で、もっとも苦しい状況にいた、または今もその状況にいる人たちへの共感を改めて表明されたのです。
「世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます」。そしてお言葉を沖縄、国内の災害への共感、少数者への思い、各国への友好の念、最後は皇后陛下への感謝と続けられたのはご承知の通りです。
立場を得たもの、事実を知ったものは、常に弱い人のそばに寄り添っていなさい。これが、私が陛下のお言葉から得た尊い教訓です。私たちへ生き方の指針を示された天皇陛下、そしてこの平成の時代をともに生きた皆さまとともに、次の時代はもっと弱い人、苦しい人のそばにいようではありませんか。たとえ何もできなくても、心をそこから離さない。これが、私たちの平成からの学びなのです。