やりたい仕事を大車輪のごとく片づけながら、父親が住む実家に通っている。以前は週に一回だったのを、二回に増やした。何をしてるかって?
実家のお片づけですよ!
父とはかつては壮絶な葛藤関係にあり、今もノンヴァイオレントな人だとは言い切れないが、それでも子どもとして、「こりゃありがたい、ラッキーだ」と思っていることがある。それは、父は最近、かなり、自分で「片づけ」を始めてくれたことだ。子どもが出て行って広すぎた家を、一部はつぶして貸室にし、私と妹の部屋も改造して、日当たりの良い新しいLDKにしてしまった。「思い出だから」とか「いつか帰って来た日のために」とはいわず、現在の自分がもっとも快適に感じることを優先させたのである。これって、親としては、かなりイケてると思いません? 「子どもの幸せが自分の幸せ」と感じるのが「愛」だと信じて、子どもをしばってしまう親のなんとも多いことを考えると。
……とほめてみたが、実のところ、父のガラクタ退治は、千里の道の一歩がやっと始まったところというのが正確な表現だ。一階のオフィス部分には、かつて事業をしていた時の書類が山ほど。 「もうなくなっちゃった土地じゃん」とかツッコミ入れたい書類があふれているが、父も、「もういらない」と思いつつ、いざとなると「いや、何かのときに使うかもしれない」という声に従ってしまうらしい。かくして私は、その書類に一つ一つラベル貼り、父が捨てやすいようにして、彼の最終決済を待っている状態なのだ。
……なんかもう、「生産的」というのとはまったく逆の作業である。だって、「もういらない」と捨てられるかもしれない書類を、せっせときれいに並べ、ラベリングしてるんですもの……。砂の上に城を作るというか、昔、シベリアの収容所にも似たような刑罰があったらしいが、意味が見出せない作業というのは、心を不健康にする効果てきめんである。
でも。なんでそれをしようと思ったかというと、とりあえず自分の身の回りのものがきれいになってみると、今度は古い家に残されたガラクタが「きれいにして」とばかり、私の心を引っ張るから。これが片付いたら、なんとも私の心は晴れ晴れとするだろう、と思うと、身体は動くのだ。長年陣取っていた、家族の歴史と縄のようにあざなわれた書類を見て、私は確信する。「ガラクタこそ、カルマだ」と。これを落とすのが、私の人生の役目だと!
ふと、マザー・テレサがカルカッタでやっていたことを思い出す。スラムで、汚れたまま死んでいこうとそうでなかろうと同じだと思われていた人たちの、彼女は身体を拭き、安全な場所に寝かせて、感謝の気持ちで送った。うちの役目を終えたガラクタたちも、「もう見たくない」とばっさり捨てられるより、丁寧に埃を払われてから逝った方が、この世に清らかなエネルギーを残してくれるかもしれない。あらー、私、マザー・テレサの境地に達したかしら。
石塚 とも
石塚 とも氏 東京都生まれ、慶応大学文学部卒。大手出版社勤務を経てフリーに。2001年、品田雄吉賞を受賞し、映画評論家として活動開始。 2006年、ローフードを推奨する健康法「ナチュラル・ハイジーン」と出会い、体重10キロ減を初めとしてさまざまな心身の変革を体験。ローフードが持つ科学的、社会的、人文学的な魅力に魅せられ、研究を重ねる。書籍、講演、ブログを通じて、ローな自分と世界に起こるさまざまな変化を発信し続ける。 著書に『ローフード 私をキレイにした不思議な食べもの』など。 |