気づけば師走となり、慌ただしさを感じる日々となってまいりました。あっという間に1年が過ぎていったように思いますが、子どもの成長をみていると流れるようにただ月日が過ぎたわけではないことを、知らされます。
とくに1歳4ヶ月になる次男は、すっかり二足歩行になり、赤ちゃんからやんちゃな子どもになりました。自分の好奇心のままに全力で歩き回っています。しっかりと歩くようになったために、歩き始めたときに購入したファーストシューズもきつくなり、そろそろ次の靴を用意しなければと思っているところです。
そんな息子の小さな靴をみながら、ふと、祖父のことを思い出しました。わたしが初孫だったこともあり、それはそれはかわいがってもらっていたことを、よく覚えています。何かあると「よーし、おじいちゃまがしてやろう」というのが、口癖でしたので、靴が小さくなったといえば、「よーし、買ってやろう」と近くの靴屋さんへ一緒に買いに出かけたものです。
そして必ず、その翌朝に真新しい靴を、底にお風呂をわかした薪の炭をこすりつけて、玄関に用意をしてくれていました。これは、昔ながらの風習で「靴は朝下ろさないといけない」「靴の底には炭をこすりつけてからはいたほうがよい」ということにのっとったものです。今ではすっかりそんな風習も廃れてしまったように思いますが、毎回このように整えてくれていました。物心つくと、なんだかその風習が古めかしくて、靴の底に炭をつけられることが煩わしいと思うこともあり、いつの間にか祖父と靴を買いに行くことはなくなってしまいました。
しかし、今さらながら、祖父の気持ちが息子の靴をみてわたしに染みいりました。祖父は新しい靴を用意することで、わたしの健やかな成長をどんなによろこび願っていたことでしょう。それを思うと、祖父への感謝があふれだしてとまりませんでした。
まだまだ新しい靴をこれからも息子とともに用意をしてゆけるわたしですが、しっかり歩くにしたがってわたしの手からどんどん離れてゆくことに一抹の寂しさも感じます。それでも、息子がしっかりと歩いてゆけることを願うのは、きっといつまでも変わらないでしょう。
ハツキ的“らくなちゅらる”な生き方
常務取締役
室長/管理部長兼
【Vol.51】祖父と靴
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