「生徒たちは、明日の練習が休みだと言ったら大喜びする」。
外国人監督が高校サッカー部の指導を始めてみて驚いたこととして紹介された記事を見ました。
好きでやっていることのはずが、義務化されてしまうことを奇異と感じたのでしょう。
もっとも部活動以外にも学習塾だの、お稽古ごとだのと忙しいなかで、自由に遊べる時間を得られたことの喜びは理解できなくもないところです。
遊びの本質
好きなこと、楽しいことについて考えてみます。
『ホモ・ルーデンス』(ヨハン・ホイジンガ著/中公文庫・1973)という本のなかに、「努力を実現するために、人間に先天的に与えられている機能、それが遊びなのだ」「遊びは真面目に転換し、真面目は遊びに変化する」とあります。
厳しい指導者だと「遊んでるんじゃない、真面目にやれ」なんて言いそうですが、本当のところでは遊びと真面目はつながっているということ。
遊んでいるかのように楽しくやる、楽しいから没頭する、やがてできることが増えていく、さらに楽しくなる……。
そんな循環の先にこそ、成し遂げられることがあるといえそうです。
また、真面目な人のなかには「楽しまなければいけない」と、楽しむことさえ義務化してしまう人もいそうですが、それでは本末転倒。
心から「楽しい」と思えることがあってこその循環です。
楽しんでやっていれば、いつまででも続けられる。
そのうち技術も上達してくる。
するともっと上手くなりたいという欲求が出てくる。
せっかく〝人間に先天的に与えられている機能〟があるのなら、活用したいものです。
指導するときには「なぜ○○するんだ」とダメなところを指摘するのではなく、「もうちょっと○○してみよう」と良い手本を見せたいところです。
なにもスポーツに限ったことではなく、勉強でも同じ。
苦手なことばかりを指摘するのではなく、良い手本を見せて遊びの要素を取り入れる。
これは大人の社会での仕事でも同じことがいえそうです。
一緒に遊ぼう
私が日本陸上競技連盟の公認コーチ資格を取得したきっかけはわが娘。
初めて出た大会で入賞し、より質の高い指導を受けさせてやりたくとも指導者が見つけられなかったことでした。
といっても、素晴らしい才能の持ち主などと親バカを自認するつもりはありません。
この先、大きな大会に出て活躍できるかは、やってみないとわからない。
また、活躍することがすべてではないし、もっと大切なものもあると思っています。
ただ、親が「うちの学校の先生は熱心じゃないから……」などと、他人の責任にして簡単に諦めてしまう姿勢を見せたくなかった。
そういう姿を見せることで、環境や周囲のせいにして言い訳をする癖を身につけてほしくなかったのです。
陸上コーチとして学ばせてもらってきたことは、日常生活での動きを観察するうえで大いに役に立っています。
子どもと遊んでいることの延長線上で真面目に取り組んだ結果が、仕事にも活かせています。
昨今、中学校・高校での部活動のあり方が取り沙汰され、練習時間や日数が減る流れがあります。
これは生徒たちのためというより教職員のためという印象で、大人の事情に子どもたちが振り回されているようです。
冒頭の例のように、喜ぶ生徒たちがいる一方で、もっとやりたいのにできないという生徒たちもいるはずです。
その存在をほったらかしにすることに疑問を感じます。
私自身は、かけっこを一生懸命にやったおかげで大人になれたと思っているし、今はかけっこをするときに子どもになれる。
ほったらかしにされかねない子どもたちとともに遊ぶ受皿になる方法はないかと、
自分の今後に期待しています。
大人が日々を楽しく生きること。
その姿を子どもたちは見ています。
大人になることに希望を持てる子どもたちが増えていきますように。