道具から見えてくるものがあります。中高生の運動部員でケガの続く子には、練習用のシューズを見せてもらうことがあります。動きの癖が染みついているだけでなく、シューズケースに使い古した歯ブラシが入っていたりすると、練習後に磨いて大切に扱っているなと、競技への姿勢も映し出されます。ときどき、実力に見合っていない高価なモデルを見掛けます。いまの時期であれば、「お盆におじいちゃんに買ってもらった」というところでしょうか。頑張る孫のために奮発してあげたい気持ちはわかります。だけども、高価なものが良いとは限らない。使いこなせる技量が伴わなければ、ケガの元にもなり得るのです。万人にとっての良いものなど存在せず、むしろ初心者ほど道具を丁寧に選びたいところです。「高いもの」イコール「良いもの」というのは、大人の勝手な思い込みに過ぎません。
「弘法筆を選ばず」だけど……
達人はどんな道具でも使いこなすことを「弘法筆を選ばず」といいます。うまくできないのを道具のせいにするべきでないと戒める言葉です。
筆を例に考えてみましょう。小学校で習字の授業が始まると、まずは書道セットに入っている筆で習い始めます。筆は良いものをと考えたとしても、いきなり書道用品店で何万円もするような筆を選ぶでしょうか。穂先が長く毛の柔らかい高級筆を初心者が使おうとしても、まずうまくは書けないし、それがきっかけで書道が嫌いになってしまうかもしれない。この段階では、学童用あるいは初心者向きの、せいぜい千円前後の筆が「良いもの」ということになるでしょう。高級品ほど使いこなす技量を必要とされるという点で、「道具が人を選ぶ」ともいえますね。
イチローが一流な訳
道具を大切に扱うことで有名なのは、今春メジャーリーグを引退したイチロー選手。現役時代、試合が終わるとすぐ、翌日の試合のためにグローブやスパイクを手入れしていたことはよく知られています。
自分のために職人さんに手作りしてもらったバットは、傷ついたり歪んだりしないようにジュラルミン製のケースに入れて持ち運ぶ。他人には触らせず、また自身もほかの選手のバットを握ることはなかった。そして試合中にバットを投げつけるようなことはありませんでした。一度だけ、凡打した際、悔しさのあまりバットを地面にたたきつけてしまったのですが、後日「バットを雑に扱ってしまいすみませんでした」とバット職人さんに連絡したそうです。イチロー選手はこのことを「非常にいやな気持になった」と振り返っています。材料である木を育てる自然を大切にし、作ってくれる人の気持ちを考えて、道具を大事にしていく姿勢が伺えます。
「弘法筆を選ばず」のごとく、イチロー選手ほどの才能があれば、どんなバットでもそこそこヒットは打てたでしょう。ただ、あれほどの偉業達成には至らなかったかもしれません。野球選手のなかにはほかの選手のバットを借りて打席に立つことが平気な人もいます。一方でイチロー選手の真似をしてジュラルミンケースで持ち運びするメジャーリーガーも増えてきたようです。道具を大事にする心掛けが海を渡ったのですね。
一流の技量をもつ人が、道具にも一流のこだわりをもつ。道具に見合う実力をつけ、一流の仕事をする。見習いたいところですね。
「鍼療室からの伝言~心が軽くなる37のことば」
西下 圭一 著
過去の連載から加筆修正したものが、Amazon Kindle で出版されました。
(目次)
第一章 やる気が出ないとき~あるがまま~
第二章 ムッとしたとき~自己観察のすすめ~
第三章 不安を感じたとき~しなやかさと潔さと~
第四章 焦りを感じたとき~視点を変えてみる~
第五章 行き詰ったとき~見えないものを信じる~