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インタビュー取材しました。

小さな「覚悟」が 大きな一歩に認定NPO法人 テラ・ルネッサンス 創設者・理事 鬼丸 昌也 前編

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2009年にラオス支援活動として設立したプレマシャンティスクール。
そのとき現地で交渉や建設の指揮をとってくださったのがNGOテラ・ルネッサンスです。
現役の大学生が、たった一人で始めたその支援活動は、今やアジア2カ国、アフリカ3カ国、日本にまで広がっています。
創設者の鬼丸昌也さんに、立ち上げのきっかけや想いについて伺いました。

鬼丸 昌也(おにまる まさや)
1979 年生まれ。立命館大学法学部卒。幼少期より世界平和に関心を持ち、高校在学中にスリランカの農村開発指導者アリヤラトネ博士に「すべての人に未来をつくる力がある」と教わる。
さまざまなNGO 活動に参加、2001 年カンボジアを訪れ地雷被害の現状を知り講演活動を始め、同年11 月テラ・ルネッサンスを設立。
認定NPO 法人テラ・ルネッサンス理事・国内事業部長。

 

同じ時代に起こっていた内戦を知り胸が詰まった

――設立のきっかけを伺えますか?

ウガンダで元子ども兵の人といっしょに

鬼丸 高校生のときに、あるNGO団体のスタディツアーでスリランカに行きスリランカのガンジーと呼ばれるアリヤラトネ博士に出会いました。彼に「君、社会や世界を変えようと思うなら特別な知識や悲しい経験など、なにか特別なことは必要ないんだよ。すべての人に未来を作る力があると信じなさい」と教えていただいたのです。今思えば、基本的な仏教の考えをわかりやすく教えてくださったのだと思います。このことがベースにありました。
立命館大学3年生の冬、別のスタディツアーでカンボジアに行きました。地雷除去現場の様子を見ると、私には死んだような場所に感じられたのです。人が暮らしていると、こうやって人が会話していたり、食事をとる食器の音がしたり生活音がします。でも、地雷除去現場で聞こえてくるのは、金属探知機に地雷らしきものが反応したときのピーッという音や、地雷除去をする人の息遣いだけ。いわゆる生活に関連する音がないのです。そのうえ地雷の被害者の悲しみや苦しみを聞いたりすると胸が詰まるわけです。カンボジアには長い内戦があり、大量の人々が虐殺をされています。しかも、それは歴史の教科書や本、テレビなどを通じて知った過去の出来事ではなく、同じ時代に生きている間に起きてきたことだということが、ショックだったのです。カンボジアでは誘拐された挙句に兵隊にさせられ、自分の生まれ育った村を襲わせたりします。自分も同じシチュエーションになったら、そうしないという保証はどこにもありません。そう思うと地雷や紛争というものが、リアリティをもって強烈に迫ってきました。では自分に何ができるんだろうかと考えるのですが、特別な知識があるわけでもありません。私は5人兄弟の長男で、立命館大学に入学しましたが新聞奨学生をしていました。寄付を出すゆとりはありません。未だにそうですが英語も喋れません。できない理由ばかり見つかるんですよね。そんなときアリヤラトネ博士の言葉を思い出し、自分にできることはただひとつ「伝えること」ではないかと。当時はインターネットはさほど普及しておらず、オフラインでの講演をする社会活動をする人が増えていました。それなら自分にもできると考えたのです。カンボジアから戻って、まず知人10人ほどを集めて報告会をしました。そこから口コミで広がり90回講演会をしたところ、シェアしたい、寄付したいという方が出てきて、秋にテラ・ルネッサンスを創立しました。

――その原動力はなんでしょうか?

鬼丸 一つは「全ての生命が安心して生活できる社会を実現する」という、弊会でも掲げているミッションの観点です。2つ目は、若くてあまり何も考えてなかったというのもあるかもしれません。家賃一万円の部屋を見つけてスタートしました。3つ目は「どう呼ばれるか」を考えました。例えばロータリークラブなどは講演できる人を求めていると聞きますし、学校もそうです。講演やスピーチをできる場所は、実は視点を変えると世の中にはいっぱいあると知り、そこにどう紹介してもらうかということが大切だと考えたのです。

 

誰も責めない対立構造を生まない講演

 

ウガンダ北部にて南スーダン難民支援をおこなう
鬼丸さん

鬼丸 この地雷の問題を伝えるのに、講演の内容は「誰も責めない」ということが重要だと思っています。世の中には、さまざまな立場、イデオロギー、信仰があります。だからこそ、人道に反しない限り、それぞれの立場を尊重する姿勢を大切にすること。「戦争」という言葉ひとつとっても解釈はさまざまです。まだ20代の私が、一方向からなにかを否定してしまった場合、どこかでネガティブに捉える人がいらっしゃいます。そのリスクをとる方法もあるかもしれませんが、幅広い層に長く訴え続けられなければならないという感覚はあったので、講演の話のなかでいかに対立構造を作らないかということを、最初からすごく意識していました。

――中川社長もよく偏らないように配慮しておられて「選択肢を減らしたくない」とおっしゃっています。

鬼丸 そうでしょうね。どこにフォーカスするかが大切ですよね。「これがダメ」ではなく、そうではないオルタナティブなほうを提示することによって気軽に参加しやすくなるものです。

――若くしてそこに気づいておられたのは珍しいのではないでしょうか。

鬼丸 僕ら紛争に関連する課題を扱っていますが、講演内容として課題の悲惨さや事実だけにフォーカスしてしまうと、人はその悲しみや苦しみだけを背負って帰ってしまうことになります。みなさん一人ひとりが日々の暮らしのなかでなんらかの悩みを抱えているわけですので、そこに悲しみや苦しみだけをプラスオンすると重たくなってしまい、現実と切り離してしまう。そうすると無関心さが増えてしまうんです。事実は事実として伝えつつも、事実や課題に対して取り組んで変化を起こした人たちの姿をなんとなくは伝えることによって、こんな風に変わるんだな、こんな風に変化を起こせるんだなと伝えることができます。そうすることで聞き手は「こんな人たちも頑張ってるんだから、私も家のこと頑張れるかも」「一歩踏み出して社会のことを誰かに伝えたら何かが変わるかもしれないね」と思えるのです。希望や感動と事実がセットになった時、人は飲み込めるんだと思います。そういったことを、尊敬する先輩たちの姿を見て学んでたのが活きてきたのかもしれませんね。

――その後はどのように活動を進めてこられたのでしょうか?

鬼丸 講演活動で関心を集めて、寄付をもらい、その寄付金を地雷除去団体に渡すというサイクルでした。そのなかで、カンボジアの内戦での子ども兵(少年兵)の存在を知り、テラ・ルネッサンスも随分と変わっていきました。子ども兵について調査するなかで、2004年にウガンダの内戦中のある一つの武装勢力に特にたくさんの子ども兵がいると知りました。諸説ありますが、その数は2~3万ともいわれています。なかには誘拐され子ども兵にされた挙句、自分の村に連れていかれて自分の母親の腕を切らされるという体験をした12歳の子ども兵もいました。脱走を防ぐためです。そういった残酷な体験をした元子ども兵のために社会復帰を提案することになり、そこから活動地域が、アジアからアフリカに変わっていきました。

 

衣食住と精神的なもの全体的なサポートを

コンゴで受益者の人といっしょに

鬼丸 2つ目に直接日本人を派遣して支援事業を始めました。それまではカンボジアにおいて、イギリスの地雷除去団体への資金提供をメインとしていましたが、2005年、日本人スタッフをウガンダに派遣しました。そうして、ウガンダの元子ども兵への社会復帰支援をしつつ、カンボジアの地雷除去や被害者への支援を引き続きおこないつつ、地域の生活再建といったことも始めました。

――それまでは日本人は現地にはいらっしゃらなかったのですか?

鬼丸 中期的に滞在することはあっても、駐在することはありませんでした。現地に日本人を派遣したのは2005年のウガンダが初めてです。

――イギリスのNGO団体とはどのようにつながったのでしょうか?

鬼丸 テラ・ルネッサンスを作る前から知っていたNGO団体に依頼していました。私たちは、ご縁を大切にしています。なにをするかも大切ですが、「誰と出会ったか」も大切にしているのです。資本や時間のことを考えると、やはり知っている方と始めることが、早道ですよね。

――社会復帰支援は難しそうですね。

鬼丸 ウガンダの話をしますと、誘拐され兵士として生きてきた元兵士は、最年少だと5歳という説もあります。そこから生きていくためには、識字教育が必要だったりもしますよね。いくつか支援を組み合わせていますが、元子ども兵の社会復帰支援の施設に、平日毎日通ってきてもらうために、まず対象者に食費や医療費を提供する。なぜかというと元子ども兵とはいえ、すでに自分の子どもなど家族がいたりするので、その子どもたちの生活をどうするかという課題があります。
そこでまず1つ目は家族の食費や衛生費はサポートする。その次に、職業訓練を受けていただきます。洋裁、服飾デザイン、木工デザイン(家具など)、それにプラスして識字教育や計算など。さらにビジネスのやり方や進め方も学んでもらいます。3つ目が心のケア。1対1のカウンセリングなどのケアもしています。ウガンダの元子ども兵の対象者に対してトータル3年サポートしますが、その3つ目までを一年半でおこないます。その後は、簡単な事業計画を立ててもらい、10%程度の利子をつけてお金を貸し出します。そして、起業の経験もしてもらいます。そのためには周囲とのコミュニケーションも取らなければなりません。三年経つと、それを活かして起業したり就職したりして社会復帰を果たしていくのです。
自分や家族を養えるだけの所得を得ること、また、いろいろな課題に対してしなやかに対応できるだけの力を身につけること。それが我々の目指す社会復帰です。なにかひとつの援助だけで社会復帰できるとは考えていません。人間は全体性を持っているからです。だから衣食住と精神的なものを含めた、あらゆるサポートを全体的におこなっていくのです。(5月号に続く)

- 特集 - 2018年4月発刊vol.127

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