2015年2月11日京都にて、15周年記念祝賀会および和太鼓ライブを開催しました。
1999 年2 月11 日、プレマ株式会社は創業しました。15 年目を迎えるこの日、日頃お世話になっている方々160 名以上にご来席いただきました。 |
伝えたいことが多すぎて巻き巻き(笑)
第一部、紋付き袴姿で壇に立った弊社代表の中川は、プレマ株式会社の前身であった露店販売時代から、創業地である京都・太秦(現在は実店舗になっています!)での時代を経て今に至るまでの話、15年の月日を一気に凝縮。そしてこれからの話へと……中川に続き、各プロジェクトのリーダー計4名が交代でお話をさせていただきました。
宮古島プロジェクト
宮古島プロジェクトは、2011年開始。リーダー松本(P4にて連載中)の下、農業生産法人オルタナティブファーム宮古を拠点として活動しています。 5つのアクション <1.「安心」「安全」を提供(無肥料自然栽培・栽培履歴)、2.「美味しい」を提供(食物本来の旨みを再現)、3.「健康」に貢献(食物本来の生命力)、4.循環型農業の実践(地域完結型農業)、5.経済自立(持続可能なモデルケース)>をかかげ、農作物栽培・加工だけでなく農業体験生受け入れも行っています。サトウキビ収穫・黒糖作りなどの、体験型・食育事業も企画中です。 現在ご紹介中の製品は、「ベビーマンゴーエッセンス」「こくとうみつ」「雪どけのおさとう」「しょうが黒糖エッセンス」。宮古島ならではの素材を、農薬や化学肥料の力に頼らず育て、加工の段階でも余計なものは添加せず、先人から受け継がれた製法で、美味しさと生命力を楽しめる製品です。 宮古島へは東京からは直行便も出ており、意外と近い(時期によっては意外と安い! 笑)場所でもあります。ぜひ遊びにいらしてください。
中国プロジェクト
リーダー
上海本物実業有限公司
楊揚
中国プロジェクトは、2011年開始。リーダーの楊揚は、プレマの価値観に共鳴し、まったく違う業界から入社した中国人スタッフです。このプロジェクトの拠点である上海本物実業有限公司の設立当時は楊揚と代表の中川2人だけでした。しかし同年に淘宝モールに出店、翌年には3名のスタッフが加わります。さらにイタリアからの輸入を開始、天猫モールにも出展、卸も開始するなど成長を続けています。 中国市場の魅力は、何といってもその大きさと、発展の可能性。富裕層も厚く、本物を求める強いニーズがあります。しかし一方で、ルール通りに進まないことも多々、物価の高騰や、現場でしか分からない変化の激しさもあります。だからこそ、一社だけでがんばるのではなく、「一緒にやっていきましょう」と考えてくださる仲間、パートナーを大歓迎。我こそはという方はぜひご一報ください。
プレマシャンティプロジェクト
開発リーダー
横山奈保
プレマシャンティプロジェクトは、2013年開始。次世代に引き継ぎたい、日本の味をお届けしたいと、次のことをお約束しています。・まず、美味しいこと。・その存在に意味があること。・真っ正直につくられていること。・作り手の想いが感じられる商品である こと。・家族や大切なひとたちに、食べてもら いたい商品であること。・天然の素材をつかっていること。・自然とひとに負荷の少ない方法で、 つくられている材料を使用していること。・昔からの製法を引き継いでつくられて いること。 うつろいゆく時代の中にある、今、この瞬間の存在の意味。うつろいゆく時代だからこそ、現実と向き合い、真実を選び抜く。そんな姿勢で、生産者さんや、製造所の方々、多くののお力添えを頂き、今では200品目以上のラインナップとなりました。横山を含め計4名の開発担当者が中心となり、今年はさらに開発を加速、500品目を目指しています。
国際展開
取締役 海外事業担当
久野真希子
プレマシャンティプロジェクトは、2013年開始。次世代に引き継ぎたい、日本の味をお届けしたいと、次のことをお約束しています。・まず、美味しいこと。・その存在に意味があること。・真っ正直につくられていること。・作り手の想いが感じられる商品である こと。・家族や大切なひとたちに、食べてもら いたい商品であること。・天然の素材をつかっていること。・自然とひとに負荷の少ない方法で、 つくられている材料を使用していること。・昔からの製法を引き継いでつくられて いること。 うつろいゆく時代の中にある、今、この瞬間の存在の意味。うつろいゆく時代だからこそ、現実と向き合い、真実を選び抜く。そんな姿勢で、生産者さんや、製造所の方々、多くののお力添えを頂き、今では200品目以上のラインナップとなりました。横山を含め計4名の開発担当者が中心となり、今年はさらに開発を加速、500品目を目指しています。
ブータンプロジェクト
ブータンは「幸せの国」として有名ですが、その一環として「2020年までに国内農業の全てをオーガニック化する」という目標を掲げており、弊社はこのお手伝いをしたいと考えています。 中川がブータンとのつながりを強く意識したのは、3・11大震災からまだ間もない頃、ブータン国王が王妃をつれて来日されたときでした。国王の行動、言葉に感銘を受け、なんとかご恩返しがしたいと、それがこのプロジェクトにおける中川の原動力となっています。 紆余曲折あり想定通りには進まなかったブータンプロジェクトですが、政府農林省からの要請を受け中川がブータンを訪れることも実現し、次第に前進の流れが生まれています。(ブータン国王の言葉(日本語訳)を以下に一部抜粋してご紹介します。実際の映像も動画サイトなどで見ることができますので、ぜひ一度ご覧になってください)「静かな尊厳と謙虚さを兼ね備えた日本国民から、世界は大きな恩恵を受けるだろう」「日本国民は、最悪の状況下でさえも静かな尊厳、自信、規律、心の強さをもって対処した。このような不幸からより強く大きく立ち上がることができる国が1つあるとすれば、それは日本と日本国民だと確信している」「われわれの物質的支援はつつましいものだが、友情、連帯、思いやりは心からの真実だ」「本当に、皆さん1人ひとりを抱きしめたいような気持ちですけど、それができないので、ここで王妃を抱きしめさせてください」
ミャンマー支店開設
ミャンマーは親日国として知られ、仏教が根付いていることもあり、日本人にとってなじみの深い国のひとつです。そんなミャンマーから日本にやって来たのがス・サンダー・ルイン。現在はミャンマー支社を立ち上げ、展示会にも出展するなど、製品の普及に励んでいます。
もちろん、日本国内も
祝賀会でのスタッフ集合写真。マスコットキャラクターのジョン君もさり気なく…
海外の話が長くなりましたが、もちろん、国内での事業は何よりの基盤です。おかげさまで、「びんちょうたんコム」をはじめ各店舗で高評価を頂いており、この信頼にお応えし続けるべく、一層励んでまいります。 新たな動きとしては、昨年、生鮮食品の取り扱いサイト「オーガニックプレマルシェ」がオープン。また卸専用サイトも作成中で、営業スタッフを増員し、自社展示会を定期開催するなど、街中で気軽に弊社の製品を手にとっていただけるよう動きを広げています。
第二部 GOCOO和太鼓Live |
「和」太鼓のイメージを一新する、魂を揺さぶる音。ご来場の方々に感謝の気持ちを込めて、和太鼓バンドGOCOO による圧巻の場を体験していただきました。
参加者の感想
打ち上げ花火のように身体に響き、共鳴し、2時間立ちっ放しでも全く疲れませんでした。
GOCOOさんの演奏は圧巻で、パワーあふれる空間を共有させていただくことでエネルギーチャージさせていただきました。
すごく良かったです。オフィシャルHPをチェックして、プライベートで踊りに行きたいと存じます!
和太鼓と運命の出会い
「知ってる!」「帰ってきた!」人生ではじめて和太鼓の前に立ったとき、Kaolyさんはそんな想いに打たれました。はじめてなのに「体が覚えている」という感覚。そして、「こうでしょ」という確信に満ちて太鼓を叩きはじめました。まさに、運命の出会い。自分の中で模索し続けていたものはこれだと、「太鼓を打って生きていく」と、その瞬間に決めたそうです。 そんなKaolyさんですが、もともとは音楽にコンプレックスがあったそうです。幼い頃は体が弱く、小児ぜんそくを患い、何かやりたいと思っても体がついてくるか不安、せっかくやり始めてもやっぱり体調を崩してしまうというトラウマも長らく抱えていました。そんな幼少期、病院に通ううちに、薬を使うと余計に体調が悪くなるのを感じ、小学校の頃には薬を拒否するようになり、自分の体との向き合い方を手探りで求め始めました。小学生の頃には手当て、高校の頃には食といった東洋医学的アプローチを手探りで見つけていきます。その頃から、人にはそれぞれの役目があるはず、自分はどんな役目を果たすために生まれてきたのか、といったことを考えていたそうです。 大人になったKaolyさんは、鍼灸師として働き始めます。その中で、ある先生から、点ではなく体全体の流れ、経絡からアプローチするという方法を学びました。「経絡に沿って動く」というその動きは、今のGOCOOの演奏スタイルにつながっています。食のこともそうですが、迷っているように思えても、実は必要な道を通らせてもらっていたのだと、Kaolyさんは言います。 鍼灸師として頑張っていたKaolyさんでしたが、それでも、やるべきことの答えが見つからなかったそうです。鍼灸師として、その人の中にある治癒力が動き出すお手伝いをしたいという想いがありましたが、一方通行で終わってしまうことも多かったのです。具合が悪くあり続ける人には、時に、無意識の中にそう望む理由がある、それを変えるだけの力がない……そんなときに出会ったのが和太鼓でした。
つながる、音楽
GOCOOの和太鼓には、“つながり”があります。それは、その場にいる人たちのエネルギーの循環です。膨大なエネルギーの扉が一気に開き、つながる。それを経験すると、どんなことに対しても「大丈夫」と思える、そんな、理屈ではない、強く、嬉しく、幸せな経験。要介護認定を受け車椅子で生活しているような方でも、ライブが始まると明らかな反応がある、といったことが珍しくありません。Kaolyさんは、太鼓を打つとき、日常の自分を手放して、純粋なところにいるように努めていると言います。良く見られたいとか、雑念が入ると演奏が乱れてしまうそうです。もちろん普段は、怒ったり、悩んだり、悲しんだり……そういったことも当然あって、それもひっくるめて表現することで、それでも核にある純粋な部分が共有できるのではないかと言います。 GOCOOの和太鼓の“つながり”はまた、日本という土地、人、国が生み出してきたものの根っこを感じさせてくれます。GOCOOの演奏は、いわゆる「和太鼓」と言われて多くの人が思い浮かべるものとは随分違います。しかし、それ以上に「和」なのです。ここ数十年、数百年だけではなく、それらすべてを含めて今ここに至るまでの流れの源につながる何かがある。GOCOOの演奏を聞くと日本人であることの誇りを感じる、と言う方が多いのですが、それも頷けます。Kaolyさん自身も、日本人として太鼓を打つことを、とても誇りに感じると言います。まただからこそ、GOCOOの和太鼓は、世界各国で高い評価を持って迎えられるのだと思います。 十数年前、Kaolyさんは、ネイティブアメリカンのデニス・バンクスさんに、リザベーション(居留地)で演奏してほしいと招待されました。その頃、ネイティブアメリカンの若者たちの間では、自分たちの血に対する誇りが失われつつあったそうです。GOCOOの演奏を聞くことで、若者たちに、自分たちの文化の根っこ、そこに対する誇りを思い出してほしいと、それがデニス・バンクスさんの願いでした。このアメリカの旅は、Kaolyさんにとっても非常に大きなターニングポイントになりました。約3週間の旅の中で、デニスさんのトレーニングを受けるような形で自分を見つめ直し、寝袋で渡り歩くような過酷な旅の中で、病弱だった頃のトラウマから解放され、自分の体への自信にもなったと言います。 最近では、ロシア連邦のサハ共和国のご夫婦から、子どもたちに和太鼓を教えてほしいとの依頼もありました。そのご夫婦は、今は失われたサハ伝統の太鼓を復活させるための活動をしています。Kaolyさんは、自分たちが演奏するのはあくまでも和太鼓であって、それがサハの伝統の復活につながり得るのか悩みました。しかし、サハで生まれ育った子どもたちが、自分たちの身にした和太鼓を次の世代へと受け継ぎ、そうやって世代を経るうちに、それはサハの文化になっていく……ずっと未来まで見据えた考え方に触れ、教える決心がついたそうです。 もともと太鼓自体、トランスミュージック、音楽の原始的な形です。GOCOOの「和」太鼓は、どの民族、地域にもあても、その根っこに響くものなのだと思います。
自分を解放する
GOCOOの和太鼓はとても自由です。GOCOOではTAWOO|タヲ|という太皷道場を主宰しています。ライブも、この道場も、安心して自由になれる場でありたいと、Kaolyさんは言います。人は、家庭や社会の中で、こう「しなくてはいけない」という枷をはめていきます。それが役に立つこともあるのですが、だんだん、必要でない時も枷を外せなくなっていきます。それを日常の中でいきなり外せというのは難しいですが、和太鼓を通じて、自由に、自分の思いのままに動き、表現する。“つながり”を感じる。その経験が、自分のルーツをしっかりと感じながら、今という時代なりの花を咲かせる、そういった生き方につながっていくようです。