カンボジアでは、10月上旬に日本のお盆にあたるプチュン・ベンという行事があります。お盆になると、料理を作り、きれいに正装をして、お寺に持っていきます。料理をお寺のお坊さんに渡し、ご飯は、お寺に並べられた入れ物に少しずつ分けて入れていきます。こうして先祖を迎え入れ、供養するのです。
カンボジア人にとって重要なこのお盆に入る前に、2009年の11月から実施してきた地雷埋設地域、オッチョンボック村での裁縫技術訓練が無事終了しました。村では最貧困層の10代後半から20代前半の4名の女性に技術訓練を実施し、2010年9月28日に卒業式を行い、認定証を渡しました。忙しい農作業の中この卒業式にも、住民組織のリーダーたちをはじめとした村人たちが参加してくれ、4名の生徒たちを祝福する様子は、とても感慨深いものがありました。
感慨深くなった理由の1つは、この訓練を教えていたサムリット・ラウという女性の現地スタッフです。彼女は以前にもご紹介したことがありますが、地雷被害者でもあります。2001年に森を新しく開墾して田んぼにする作業のときに、地雷を踏み、膝から下の片足を病院で切断しなければなりませんでした。こうした怪我の治療や義肢装具の提供、リハビリ訓練などは、すべて無料で提供されています。彼女は、また別のNGOから裁縫技術の訓練を受け、家に帰りましたが、結局その技術を使うことなく、お父さんとお母さんが田んぼへ農作業に出かけているときには、幼い弟と2人で家にいるしかありませんでした。地雷の多く埋設されたバッタンバンの農村にある彼女の家は、とても貧しい生活を強いられていました。2009年初め、バッタンバン市内のリハビリテーションセンターで、新しい義足に交換するために来ていた彼女は現地スタッフに会い、テラ・ルネッサンスで働くことになったのです。
働き始めた最初の3か月は、小学校もまともに通ったことがなかったため、クメール語の読み書きもおぼつかず、研修期間として読み書きや簡単な計算などを、他の現地スタッフが教えました。その後、忘れかけていた裁縫技術をもう一度勉強し、村に派遣できることになったのです。ホワイトボードに毎日教えることを書く、その文字はとてもきれいになっていました。そして、裁縫技術は、土日も休みなく先生のところへ通うほどの熱心さで勉強していたので、教える立場になってからは、とても自信を持ち、その姿に頼もしさも感じました。「別の村でも裁縫技術訓練が必要であれば、ぜひ教えに行きたい」と言ってくれたときには、今までのことを思い出し、私自身がとても嬉しくなったのです。
そして、4名の生徒たちも、先生に負けないぐらいの熱心さで、とてもよく勉強してくれました。技術訓練を始める前にインタビューをしたときには、あまりの自分の貧しい境遇に泣き出す子もいましたが、それだけに、訓練を受けるときは、とても嬉しそうで、毎日ミシンに向かっていました。貧しいうえに兄弟が多く、土地もないため、小作人になって日当を受け取る以外の選択肢がなかった女の子が、服の仕立屋になるという小さい頃からの夢をとうとう実現できるときが来たのです。オッチョンボック村は、遠隔地の村で、服の仕立ができる村人が1人いますが技術が低いために、技術訓練中でも仕立てを頼みにくる村人たちがたくさんいました。実は田舎の遠隔地で、市場までアクセスすることも難しい村の方が、服屋もなく、裁縫技術のニーズがあります。こうして、村人たちが仕立てを頼みに来たことで、お店を開けば稼げることが分かり、4人の生徒たちのモチベーションにもなったようです。
また技術訓練は、多くの村人たちの協力があったからこそ、実施できました。当初は、村に女性スタッフを1人で派遣するのはどうかと思いましたが、結局村人たちが住居として村の空き家を提供してくれたり、技術訓練を行う場所も住民組織のリーダーが自分の家のスペースを提供してくれるなど、とても温かく見守ってくれたおかげで、ラウも安心して村に滞在できました。
卒業式で、認定証を渡す時の一人一人の生徒たちの笑顔、そしてラウの笑顔、村人たちの笑顔は、何物にも代えがたいものがありました。多くの人々の協力で実施できた裁縫技術訓練は、同時に多くの人々に笑顔をもたらしました。彼らの笑顔が未来を創りだす希望の芽です。
江角泰(えずみ たい)
江角泰(えずみ たい)氏 NPO法人テラ・ルネッサンスのカンボジア事業担当者。 大学時代に、NGO地雷ゼロ宮崎のメンバーとして参加した「テラ・ルネッサンスのカンボジア・スタディツアー」が、テラルネッサンスとの出会い。 現在は、カンボジアにおける地雷問題に取り組む他、弊社が進めるラオス支援活動も担当中。 |