香ばしく味わい深いマヤナッツは、古代マヤの時代から生息している「ラモン」の木の実。
飢饉のときにも食べて飢えをしのいでいたといわれいる栄養価の高い実なのだそう。
そんなはるか遠く中南米のグァテマラから、なぜこのマヤナッツを輸入することになったのか。
グアテマヤ代表の大田美保氏に、その思いを伺ってみました。
笑顔が素敵な大田代表。
「マヤナッツはこれからまだまだ使い方の可能性が広がるものだと思っています。
なにかと混ぜると味わいが深まるのでお菓子はもちろん、毎日の食卓でいろいろなものにふりかけてもらいたいです」
1991年、友人に中南米の旅に誘われたのがマヤとの最初の出会いでした。当時は大量消費の時代。
私はアパレル企業に勤めており、自分が勤めていたブランドの服に給料が消えていく生活をしていました。
ところが体調を崩すなどいろいろなことがあり、仕事を辞めてインドに旅をしたところ、カルチャーショックを受けました。
それを機に暮らしが一変。要らないものは持たないようになりました。
中南米の旅では最初は友人といっしょでしたが、途中から一人になり、旅の最後に行ったのがグァテマラ。
恋に落ちたようにハートを鷲掴みにされ、帰国後も「グァテマラに戻りたい!」と思うようになり、行き来するようになりました。
それからプロセスワーク※のセラピストを目指しましたが、その学びのためにアメリカに勉強に行き、修了して大きな学びが終わった!というタイミングで、
グァテマラに戻ってみると、自分の役割や使命が変わっていることに気づいたのです。
プロセスワークはただの学問ではなく、内省していくものだったこともあり、
「私のやるべきことは、このグァテマラと関係しているのではないか」と思ったのです。
あるとき原生林に近い場所に行く機会があり、ここに住むとしたらなにをして生きていこうかと自問してみると、
森のほうから「あなたはこの森を護っていくんですよ」と聞こえた気がしました。
まずは2000年に日本でNGOティエラマドレプロジェクト(母なる大地の意)を立ち上げました。
そして、日本のみんなに「自分たちの生活を変えていくことで、森を護っていける」ということを講演などで伝える活動から始めました。
その後、数年ぶりにグァテマラに戻り、旅をしていたときに、森が燃えている場面に出会しました。
あまりにもショックでどうしていいかわからなくなりました。山を燃やす理由は、山を牧場に変えるため。
悲しくてやりきれなくて、自分の身が切られるような絶望的な気持ちになってしまいました。
その旅の途中、いっしょに行ったメンバーの紹介で現地マヤのシャーマンに出会いました。
二度目に彼を訪れたとき、彼は私のためにファイヤーセレモニーを用意してくださっていて、その場に入った瞬間、私は泣き始めてしまいました。
それは悲しいということではなく、体の中からなにかが突き上げてくるような感じでした。
このセレモニーで、燃えている森を護る方法が明確にわかったわけではないのですが、私の魂はここから来たのだということが感覚としてわかりました。
ルーツがわかったところで、まだ、どう関わっていくかわかりませんでしたが、
そのころ、現地の友人で植物のマエストロから、マヤナッツ、現地名ラモンについて、昔から伝えられている栄養価の高い実だということを聞きました。
飢饉のときにも食べて生き延びたといわれるほどなのだそうです。
数年後、ラモンの実を使って現地の女性グループがなにかを始めたと聞きつけました。
収穫したラモンを長期保存するために乾燥したり焙煎したりという加工をしていて、それを見にいったところ彼女たちもちょうど販売先を探していると聞き、
「私がそれを担えばいいのだ」と思いました。
現地の人たちが森を燃やして牧場にするのは、現金収入を得るため。
でも、牧場としての利益は循環していくわけではありません。それに、一度、牧場にしてしまうと森は簡単に再生できませんし、動植物もいなくなってしまいます。
しかし、ラモンを収穫すると換金でき、加工することで女性の雇用を生み出し、森を壊すことなく護れ、ラモンが実り続ける限り、それは循環していきます。
森が護れて、現地の人が豊かになる。ラモンを買い取り日本に運び輸入することで、
現地の人も潤い、そして、日本とマヤをつなぐことができ、日本のみなさんの健康にもつながります。
現地では当時は女性の地位が低く、働く場もありませんでした。
そして、女性が集まってなにかすることを、男性たちはあまりいい思いでは見ていませんでした。
それが、この活動が広がり、世界から認められるようになってくると、男性たちが運搬などバックアップするようになってきたのです。
愛と喜びの循環が起こってきました。
日本でも女性や仕事を得にくい人たちに循環させていきたいという思いがあり、マヤナッツのクッキー製作は地元山梨の福祉作業所にお願いしています。
また、パッキングの作業はまだ子どもが小さいお母さんたちにお願いしています。
わからないことやできないことだらけで、たくさんの人に助けてもらいましたが、おかげさまで、現在、ハッピーの循環ができていると思います。
関わる人たちの愛と喜びの循環が商品と共に伝わり、そこにまた循環が生まれていくことを願っています。