私が弁護士として関わる事件には、少年事件や未成年後見事件、いじめに関する事件など、子どもに関するものがあります。そうした子どもに関する事件から、今回は、児童虐待に関する話題を取り上げたいと思います。
無言の頷き
一般に、児童虐待に対応する機関は児童相談所ですが、児童虐待への対応方法として考えられる強制的な施設入所や親の親権停止は、非常に影響力の強い法的措置です。そのため、法律の専門家である弁護士が児童相談所に関わることが求められます。児童福祉法にも、「児童相談所における弁護士の配置又はこれに準ずる措置」が必要と明記されています(12条3項)。このように児童虐待への対応は、子どもの問題に取り組む弁護士にとっても重要な活動のひとつなのです。
こうした児童虐待の研究を目的とする学術団体が、日本子ども虐待防止学会(JaSPCAN)です。毎年学術集会があり、今年は11月に金沢で開催されました。今年は新型コロナウイルスの影響により、多くのプログラムがオンラインで同時配信され、その後も一定期間インターネットを通じて視聴することができました。今年、私は初めてこの学術集会に参加し、いくつかのプログラムの視聴もできました。
学術集会では、多くの講演やシンポジウムがおこなわれましたが、印象に残ったプログラムをご紹介します。それは、元日本臨床心理士会会長で、家庭裁判所の少年調査官を務められたこともある村瀬嘉代子さんの講演「人が育つということ、そばに在るということ~個別性とエビデンス~」です。
村瀬さんは、ご自身が少年調査官になりたてのころ、強盗傷害で少年鑑別所に収容された少年を担当した際のエピソードを話されました。大柄で、筋骨たくましい少年と村瀬さんが初めて面会したとき、少年は戸惑う村瀬さんに対して、「僕が怖いのですね」と威嚇的な発言をしたそうです。そのとき村瀬さんは、家庭裁判所の調査官の模範回答が頭に浮かんだものの、その回答のかわりに、ただ無言でうなずいたそうです。すると、「そうでしょう、それが事実というものです」と、少年の穏やかな声が降ってきたとのことでした。
その後、少年は村瀬さんに心を開いて面会を重ねるうちに、大きな変化を遂げていきました。そして、少年が少年院に収容された後も、村瀬さんとの手紙の交流が続き、少年院を出所する際には、最後の手紙を村瀬さんに送りました。「出所後も手紙のやりとりを続けたいけれど、今後は外の世界で手紙を出したいと思う人を見つけ、真面目に働くのが大事だと思うので、これで手紙は最後です。さようなら」と。
村瀬さんご自身は、最初の少年の威嚇的発言に対して無言で頷いたことについて、家庭裁判所の調査官として、本来してはならないことだったとおっしゃいます。しかし、他方で、あの場面で模範的な回答をしたとすれば、その後の展開はなかっただろうともおっしゃっていました。
互いに役割を越えて
私たちは普段、他者と接するときなどに、職業や、所属する会社や、社会的地位や、家柄といったものを、意識的または無意識的に自分の役割として引き受け、結果、その役割にとらわれてしまいがちです。いや、自分だけではありません。私たちはしばしば、生身の他者ではなく、役割や肩書をともなう他者と向き合っています。
村瀬さんのエピソードは、人がそれぞれに役割を有することを前提としながらも、その役割を越えた際に、はじめて他者と向き合えることや、他者との交流の可能性が生まれることを、如実に物語っているように思えます。
村瀬さんの講演は、私たちの生き方の再考を促す、示唆的で、感動的な講演でした。