「おかしなことがあったら指摘して」と頼まれていたので指摘したら、キレられる。そんな経験はないでしょうか。
例えば、シャツの襟が捻れているのを指摘すれば、「ありがとう」と感謝されます。そのシャツがシワくちゃで、アイロンの掛け方を指摘したら、ちょっと不機嫌になられそうです。「ちゃんと洗ってる?」などと尋ねようものなら、二度と口を聞いてくれなくなるかもしれません。同じシャツにまつわる指摘でも反応が異なります。
人から指摘を受けたとき、シャツの襟のようにすぐに直せるものなら直して終わり。シャツのシワのように、すぐには直せなくて今はどうしようもないことだと、受け入れ難くなってくる。洗濯のように日常にまで踏み込まれると、もはや感情の処理に困ってしまう。
または、すぐに修正できるものなら受け入れられる。時間がかかることだと不機嫌になる。もしくは、自分では気づいてなかったことだと感謝できる。薄々ながら自覚していたようなことだと余計に機嫌が悪くなってしまうものかもしれません。
おかしなこと
日常の「おかしなこと」が病気や症状を引き起こすものもあるので、患者さんから「指摘して」と言われることも少なくありません。
子どものころ、灯りをつけずに暗い部屋で本を読んでいて「目が悪くなるよ」と注意されたことはあるでしょう。昨今ではゲームやスマホかもしれませんが、暗い場所でなにかを見続けていたら視力は低下し、やがてはメガネに頼らざるを得なくなるのです。おかしな姿勢でいたら、足腰に負担がかかります。しゃがみ方が悪ければ、いつか膝が痛くなる。歩き方がおかしければ、いつか腰が悪くなる。やがては杖に頼らざるを得なくなりそうです。治療とは、痛みを取り除くだけでなく、その原因から見直す必要があることも多いもの。今ある痛みは、これまで続けてきたことの結果。原因を変えずして結果も変わりようがありません。
「ここが痛くなるのは、歩き方がおかしいかも。ちょっと歩き方を変えてみましょう」。毎日とまではいわずとも週に何度かは口に出す言葉です。「どう変えればいい?」と尋ねられて、廊下を歩いてもらったり、良い見本と悪い見本をこちらがやって見せたりして、納得してもらいます。
一方で、「痛いのは私のせいですか?」と不機嫌になられることもあります。他の誰のせいでもありません。「この前まではなにもなかったのに」と言う人もおられます。先ほどの視力低下のように、積み重なってきた結果です。「病院でそんなことを言われたことはない」と言う人もおられます。どこでも言われなかった、直さなかった、だから治らなかった、そして何軒目かで初めて言われている。そういうことだと思います。
かく言う私は、必要だからと言い過ぎたこともありました。患者さんのことを思って、伝えれば伝えるほどに嫌われる。そんな経験を踏まえ、必要なタイミングで伝え、また伝え方を工夫するように努めて変えてきた経緯があります。続けてきたことを変えるのは大変なことですね。
心の門を開く
禅の言葉に「開門福寿多」とあります。心の門を閉ざせばなにもやってこない、心を開けば幸せがやってくるという意味です。過去に辛いことがあったとしても、いつまでもとらわれない。今を生きているんだから、今しかできないことをやってみるほうが良いということです。
私の伝え方も、試行錯誤。十年後、二十年後も変わらずに同じことを言い続けられていたら、それはちょっと真実に近づけているのかもしれません。
最近、明るく広い心を持つことを「オープンマインド」と言われようになっています。自分も周囲も楽になるオープンマインドを心掛けたいものです。