丁寧に調理されていて、ちゃんとおいしい。食べることがもつ当たり前の喜びを味わわせてくれると、リピーターが多いのが「プレマシャンティ® 島根野菜のお惣菜」です。その味わいが生まれる場所が、島根県雲南市の旧吉田村。そこで生まれ育ち、いまは株式会社吉田ふるさと村で働く堀江さんに、〝わが町自慢〟〝わが会社自慢〟を披露していただきました。
堀江さん(左)の仕事は販売促進で、業務のフィードバックのために生産者を訪れることもしばしば。写真は、島根県雲南市吉田町の唐辛子農家さんとの一枚。一味・七味とうがらしも、吉田ふるさと村の人気商品
そんな吉田村で生まれ育った私が、故郷の素晴らしさに気づかされたのは、大学生のとき。進学先の大阪でひとり暮らしを始めた際に、吉田村での当たり前がいかに有難かったのかを思い知らされました。親元を離れて始まった新生活。街で深呼吸をしたとき、またアパートで蛇口をひねって水を飲んだときに、「あれ、なんか違うな」と感じました。澄み切った空気と清冽な水は、吉田村だからこそ存在したのです。大学生活を通して帰省するたびに、村の住環境としての魅力に惹かれていきます。
実は幼少のころから父親に「人生で一度は、島根を出てみろ」と言われていました。私はとくに都会への憧れがあったわけではなく、ただ興味のある大学・学部を選択した結果、故郷を離れただけでしたが、父にすれば、私が島根を出ることでなにか新しい気づきがあるのではないか、そう考えていたのかもしれません。
そして大学4年生を迎えて就職活動となったとき、私は島根に戻ることを決意しました。もちろん故郷が好きだったし、また「吉田村も意外と便利」と気づいたからです。当時、私は大阪市の隣の市でひとり暮らしをしていましたが、最寄りの繁華街・ミナミに行くには、電車を乗り換えて約40分かかりました。「吉田村から出雲市にも車で40分ほどで行けるから、あまり変わらないじゃないか」。出雲とミナミでは街の規模がまったく違うのですが、遊ぶだけなら、私には出雲で十分でした。
私が故郷での就職を希望したタイミングで、吉田ふるさと村が人材を募集していました。雇用の場の創出と地域経済の活性化を目的に、村の住人が行政と設立した会社に、私は興味を持ちました。入社してからは、ずっと農産加工部で販売促進の担当です。
弊社で取り扱う農産加工品の材料は、地元産を中心に国内産にこだわっています。もちろん、保存料などを使わず自社の工場で製造します。主力商品は、地元の餅米を使った「杵つきもち」。吉田村は高地にあって朝晩の寒暖の差が大きいために、ぶどうなどの果物と同様に、米も甘い風味に育ちます。その収穫された餅米を杵でつき、コシがあってふっくらと焼き上がる餅にしています。ほかには、卵かけご飯専用醤油「おたまはん」も好評で、こちらは隣町・奥出雲町で生産される醤油を加工した商品です。
また弊社のユニークさは、事業の裾野の広さです。農産加工部のような地元産品の開発、地方の魅力発信を担う仕事だけでなく、住民をサポートする業務も展開します。そのひとつが水道部。旧吉田村には水道工事の専門業者がなかったため、建設業許可を取得して弊社で工事を担うようになりました。今では水道メーターの検針業務もおこないます。そのほかにも浄水場、ポンプ施設の点検管理など、さまざまな水道事業業務を通して、住民のライフラインを整備する大切な仕事を担当しています。
そしてバス事業部。雲南市民の足・雲南市民バスの運行も、吉田ふるさと村の大切な事業です。約10名の運転手が、日々、安全運転に努めています。
また観光面でも、町の魅力発信に一役買っています。雲南市内を流れる斐伊川上流の出雲湯村温泉にある清嵐荘を運営するのも、吉田ふるさと村。2019年11月にリニューアル改装して生まれ変わった新しい施設です。もちろん温泉だけでなく、地元の美味も堪能していただけます。
以上のように吉田ふるさと村の事業は多岐に渡ります。しかし、もともとは村民の過疎化への懸念から生まれた会社です。私も仕事柄、生産者の方に触れる機会が多いですが、やはり農業人口の減少と高齢化は深刻な問題。仕事や進学を考えると、やはり吉田村は不便と感じてなのか、私の小・中学校の同級生も、7割は村を出てしまいました。
ただ昔からの山村だからこその誇れる魅力はあります。村を訪れた方が獲れたての野菜でつくった料理を食べ、感激されているのを見ると、私たちの当たり前が、案外他の方には特別に感じられるのかもしれないと考えるからです。当社の商品にも決して派手さはありません。けれども丁寧に調理した味わいで食べた方の毎日に彩りを添えられるなら、とても嬉しいです。