ワークショップという扉
2003年、年初の日経新聞に大きく半農半Xが紹介され、
記事を見たソニー・マガジンズの編集者の方から思いがけないメールをいただきました。
見ず知らずの私に、「半農半Xを商業出版しましょう」とメールをくださったのです。
熱心な勧めにより、私にとって人生初の本『半農半Xという生き方』が
同年、世に出ることになりました。
驚いたのは、無名の者が書いた本なのに、都会の書店が平積みをしてくださったこと。
そして、その週からメールや手紙が届きはじめ、
京都といっても田舎の綾部まで訪問する若者がたくさん現れだしたのです。
本は2つの影響を与えました。
1つは自分のXは何かを問い直した人が増えたこと。
もう1つは市民農園を借りたり、故郷の農地を耕したり、
畑や田んぼを始めた人が増えたことです。
半農半Xを知り、綾部を訪ねてくれた30代の女性が私にこんなことを言いました。
「綾部でワークショップとかされないんですか?」と。
本を読んだ人がわざわざ綾部にやってくるけれど、せっかく来られるならと、
半農半Xについて勉強したり、みんなのX発見を応援したりする
1泊2日のワークショップをおこなうようになりました。
いま、全国各地からお声かけていただき、
みんなのXを活かしたまちづくりや生き方のワークショップをおこなっていますが、
あのとき、ぼくの扉がひとつ開いたのです。
海外講演という扉
本が出たことでいろいろな物語が始まっていくのですが、さらにこんな物語が生まれました。
大阪の書店で本を手に取ってくれた20代の台湾人女性が
「これはぜひ母国に伝えたい!」と、台湾の出版社に持ち込んでくれたのです。
もちろん自発的に、です。
2006年、拙著は『半農半X的生活』という題で中国語版となり、出版されました。
漢字文化圏って、やはりすごいですね。
6年ほど前、中国成都の雑誌の編集者から
「いま中国人も半農半Xを求めています」というメールが届き、びっくりしました。
台湾本が中国にも伝えられ、口コミでひろがっていったようです。
2014年夏、上海の出版社によって、中国大陸版(簡体字版)が出版されました。
おかげさまで、台湾は6度、招いていただき、
台北から農村部まで何度も講演をさせていただいています。
最近は中国、韓国でも講演の機会をいただきました。
初めて海外で講演をするときはどきどきしましたが、
国は違っても、みんな求めているのは、環境問題時代をどう持続可能に、
そして納得いく人生を送れるかで、思いは同じです。
なぜ半農半Xが普遍性をもつのか。
私は2つ理由があると思っています。
1つは、人は「他の生命をいただかないと死んでしまう」という生命としての宿命。
もう1つは、人は「生きる意味」が要る生き物だというシンプルな理由です。
半農半Xコンセプトが、平和な東アジアであるための
小さくともきらめくキーワードとなれば幸いです。
半農半X研究所代表
福知山公立大学地域経営学部特任准教授
総務省地域力創造アドバイザー
塩見直紀
(しおみ なおき)
1965年、京都府綾部市生まれ。
「半農半X(=天職)」コンセプトを20年前から提唱。
ライフワークは個人~市町村までのミッションサポート、コンセプトメイク。
著書(『半農半Xという生き方【決定版】』など)は翻訳され、
台湾、中国、韓国でも発売され、海外で講演もおこなう。
http://plaza.rakuten.co.jp/simpleandmission/