検査が終わり、赤ちゃんを抱く前に、医師に告げられました。本来ならNICU(新生児集中治療室)に入院すべき低体重だが、それ以外問題がなく、母親であるわたしの強い希望があるので母子同室を許可する。ただし、体重の自然減少の度合いによっては別室入院させるので、子どもはあらかじめGCU(発育支援室)に入院したうえでの母子同室という特別措置とする、とのことでした。
上2人と同じく、3人目も体重が低いだけで異常はありませんでした。今回はかなり詳細に調べられてそれなので、体重で輪切りにするシステムは如何なものか、と、心から思います。が、ここで母子同室が許されるのは、実はかなり優しい病院です。体重が基準値に満たないと、保育器の向こうに赤ちゃんを自動的に隔離する病院のほうが大多数。その措置を嘆く声も、わたしは多く聞いてきています。また、ここでもバースプランのおかげで、スムーズに事が運びました。略式のカジュアルな書式を利用しましたが、それでも口頭ではなく、書類にしただけの効力はあるのです。
ようやく赤ちゃんにおっぱいを含ませることができ、母子同室も許され、ホッとする暇もなく。わたしと赤ちゃんの入院手続きのために、数階下の受付に行き、事務手続きをするよう促され、規定時間より早く分娩台を下ろされました。休日前だからという、あくまでも事務上の都合です。というような理由で産後すぐに歩かせることに驚愕。
車椅子で行くことをお願いし、受付は入り口近くでかなり冷えるのが予想されたので、ひざ掛けを要求しました。それでも冷えたし、車椅子に座っていても、からだを起こしているだけで気分が悪くなり、とても疲れました。 病院ではあらゆる局面でそうでしたが、産後の養生への配慮はありませんでした。医師に聞くと、エコノミークラス症候群を心配しているとのこと。そんなもの、産婦の体に無理させず、予防できるような産後体操もあります。 前回の最後に書いた、「病院での生活がもたらす肉体的苦痛」は、とにかく歩かされるところから始まりました。ベルトで骨盤を縛り、無駄な動きは減らすよう生活上の工夫はしたけれど、上げ膳据え膳の助産院での生活とは天地の差。病院での出産経験のあるお母さんたちが、口々に助産院の優しさに感動なさっていた、その理由を実感しました。
産後最低3週間、できればひと月、動くこと、冷やすことに用心しないと産後の肥立ちに響くとは聞いていたけど、自分のからだで実験する羽目になるとは思いませんでした。もちろん高齢の影響もあるとは思いますけど、それでは説明つかないレベルの肥立ちの悪さ。退院してから、イトオテルミーの先生の忠告に従い、失敗を取り戻すべく改めて用心を続け、なんとか以前のように動けるようになった、と感じられたのが、先生の予言どおり、産後半年以上経ってから。その間手当てしなかったらどうなっていたことか、正直恐ろしいです。 お産という大デトックスを経て、産むごとに元気になっていく母親がいる反面、産後養生に失敗した母の声を集めると、年単位で疲れを引きずり、必死で調整した話がかなりあります。悲しいことに、子どもをNICUなどに入院させられ、毎日おっぱいをあげに通うような母親らしい母の苦労話も多く含みます。中には、神経の難病にかかって車椅子生活になったり、片耳の聴力を失ったりしているこわい例も。医師は、因果関係が科学的に立証されていない(産後養生の必要性を説いた論文がない)と言うかもしれませんが、昔から養生しろと言われているだけのことはあると思います。あ、産後に無理するのが(よくないと思うけど)前提なら、若いうちに産んだほうがやはり回復しやすいみたいですよ。もちろん20代で産んで、産後きちんと養生した人が最強です。ただ、産後無理してしまっても、後々気をつければ、なんとか追いつきます。わたしの場合、本来ひと月で済むところが半年かかりましたけど。そこで半年休まなかったら数年かかると言われてたので、数年使い物にならないよりはまだマシだったろうと思います。
次は、産後すぐに引き離されたことで、母子の「絆」がどう変わったと思えたか、関係の修復について書きたいと思います。正直わたしも精神的に痛いところなので、ご興味ある方は、ぜひ読んでくださいね。
望月 索(もちづき・さく)
病院でも、それでも冷えないように、頑張りました。