今月号は、私が最近経験した少年事件をご紹介する予定でしたが、一回延期し、今回は、11月25日に開催された第32回近畿弁護士会連合会(近弁連)人権擁護大会のことを、ご紹介したいと思います。
この大会では、シンポジウムが実施されたほか、7つの決議が可決されました。子ども基本条例や、刑事再審制度に関するものなど、いずれも重要な決議でしたが、そのうちの1つが、以前何度かこのコラムで取り上げた優生保護法に関する決議でした。具体的には、国に対して、優生保護法の被害者救済のための制度の充実と、優生保護法の背景となった優生思想の根絶のための施策を求めるものでした。
この決議にあたり、私は会場で、賛成の立場から討論をおこないました。以下では、そのときの私の討論を、ほぼそのままの形でご紹介します。
賛成討論
「先日、サッカーのワールドカップ一次予選において、日本はドイツと対戦し、2対1で勝利しました。優勝候補と評されているドイツに対する逆転勝利を目撃し、胸を熱くした方も少なくないと思います。
私自身は、サッカーに強い関心を持つ者ではなく、先日の歴史的な勝利の瞬間も、熱狂の渦中にいたわけではありません。しかし、ピッチの選手たちが、ゴールを目指し、幾度もパスを送り合うという営みは、一スポーツを超えた哲学的な実践のようにも感じられ、私自身も強く魅了されています。
例えば、1993年のドーハの悲劇。あるいは、1996年のマイアミの奇跡。私は、これらの試合の中継をリアルタイムで視聴していた者ですが、いま、こうした過去の試合を振り返るうちに、実は、当時の選手たちは、ゴールを目指して味方の選手にパスを送るだけではなく、将来の選手たちに向けて、パスを送っていたのではないかと感じるようになりました。そして、時をこえ、無数の人のパスにより繋がれたボールが、いま、カタールに存在する、そんな風に、感じられるようになったのです。
ところで、マイアミの奇跡と呼ばれる試合のあった1996年、日本では、ある法律が、社会から退場させられました。優生保護法という名のその法律は、憲法違反であることが明白なおぞましい法律であり、制定以来、多くの犠牲者を生み出してきました。
この法律による被害者の方々や、被害者の支援をされてきた方々は、被害の後、さまざまな形で、社会に対し、命をこめたパスを送り続けてきたに違いありません。しかし、法律家を含めた私たち市民の多くは、そのパスを感知できず、そのため、出されたパスは、透明なボールとなって、私たちの身体を通過していきました。
それでも、2018年頃になると、私たちは、ようやくこの法律の問題の重大性や、被害の甚大性に気付かされ、多方面から、この問題の解決に向けられた声が上がり始めました。そして、遅れて参加した私たちによるパスは、2022年になって大阪高裁や東京高裁へと届けられ、画期的な判決として結実しました。それにもかかわらず、国はいまだに、被害者の方々や、支援者の方々、そして私たち市民から送られたパスの重みを受け止めようとしていません。
この問題のゴールの1つは、被害を受けた方々や、そのご家族が、適切な補償を受けることであり、もう1つのゴールは、いまだ残存する優生思想を、この社会から退場させることにほかなりません。今日の決議案は、この2つのゴールを目指し、現在と未来に向けて出されたパスにほかならないでしょう。そして、こうしたパスを送ることは、基本的人権の擁護と社会正義の実現を目指す、私たち弁護士の使命であるに違いありません。
以上で、賛成討論を終わります。」
※優生保護法は、1948年から1996年まで日本に存在した法律である。優生思想に基づき、不良な子孫の出生を防止するために、障害者等に対して強制的に不妊手術を受けさせることなどが規定されていた