質問: 原発事故以降、気持ちが落ち着きません。地震も多く、原発の情報もいっぱいで、怖くて腹が立って、不安でしかたありません。どうしたらいいでしょうか。(茨城県 F様) |
答え:
まず、茨城にお住まいということで、今回の原発事故と度重なる地震に、心よりお見舞い申し上げます。私どものお客さまの半分くらいはいわゆる関東圏にお住まいで、私も地震の直後からインターネットに釘付けとなって情報収集と対策を考えていました。 当初の1週間くらいは、地震と津波の被害の甚大さとその悲しみに心を奪われ、原発事故処理の進捗にドキドキし、情報の不足にイライラもしました。若い頃に反核や反原発の運動にいたこともあって、なまじ知識があるぶん、ほんとうに起きてしまった今回の事故がもたらす災禍を想像してとても不安にもなりました。そこに続々入ってくる商品欠品と流通の障害、被災されたお客さまの安否情報に一喜一憂して、体はじっとしているのに心は暴れ回るという、まったく健康的とはいえない時期を過ごしました。もちろん、このような状況で何が私たちを守ってくれるのかということは頭では理解していましたが、全体として暗雲が立ちこめたような心境でいたことは間違いありません。 そんな状態から、私をとても楽にしてくれたのは「祈り」「具体的な行動」「情報から離れ出かけること」の3つでした。 会社では震災の直後から、過去一度もやったことのない全員での祈りの時間を持つことにしました。あまりの被害の大きさと起きている出来事の重大さに向かい合って、まず確実に、かつすぐにできることは祈りでした。会社全体でやることですから、最初は黙祷くらいにするつもりでしたが、黙祷だけでは今回は足りないと思いました。津波の被災地や原発の周辺には、続く余震と放射線に向かい合い、命がけで事態に向かい合っている人たちがいます。そして被災地だけではなく日本中のお客さまやそれ以外の方、さらには世界中に今回の出来事で心に傷を負った人たちがたくさんいます。ですから、黙祷だけでは充分でないと感じ、そんなすべての皆さんに希望の光と感謝を見いだすよう、皆でイメージをすることにしました。「会社全員で祈る」などといえば、あらぬ誤解を受けることもあるかもしれないという気持ちもありましたが、同じように心に傷を負ってしまったスタッフにもとても効果的に働いたことはいうまでもありません。人は自分の力だけではどうにもできない出来事に向かい合ったとき、自他に光を見いだすことで救われるようにできているものだと切実に感じました。特に見えない恐怖に苛まれているときにはなおさらのことです。 「具体的な行動」に関しては、震災後何度も告知したトップページからのリリースでもご確認いただけるとおりです。救援物資としての衣類の収集、水の無償送付、避難場所の提供、落ち込んでしまった方へのヒーリング、原発情報の配信、プレマ基金の立ち上げ、そして福島入り・・・・・・会社の経営者ですからできたことかもしれませんが、お客さまも「被災された方のために具体的に何かをする」ことによって救われたという経験をされた方も多いと思います。必要以上の恐怖から抜け出すためには、自分は自分の領域で意図的に行動できるのだということを再確認する必要があります。 そして最も効果的だったのは「情報の渦から意図的に離れ、肉体で消化すること」です。インターネットの情報の渦の中にいると、まったく反対の意味を持つ情報や非難・誹謗に終始するもの、客観的情報のように見えて悲観的な意味しか持ち得ないもの、さらには楽観的過ぎて根拠のないものなど、あらゆる質のものが一気に押し寄せてきます。それ自体が悪いわけではなく、入ってきた情報を消化できないことが不安を増長します。これらの脳から発生したストレスを肉体は正直に反映することになり、つかみどころのない倦怠感やあちこちの不調を引き起こします。これに対応するためには体を動かして、比喩的な表現ですが、「体で消化するしかない」のです。肉体はパソコンやテレビの前に引きこもることも、そこを離れて解放されることのどちらにも抵抗しません。抵抗しているのは脳(または心)であって、体は意志が望んだところに行くことができ、さらに意志によってコントロールすることができます。自粛ムードがじっとしていることに拍車をかけたという部分もありますが、気持ちは自粛しても、動くことに制約をかけてはいけません。放射線レベルの高い場所では室内の掃除や室内運動、たとえばヨガなども効果的でしょう。 何もしたくないときは「あえて何もしない」と意図することも大切です。情報だけ入れて何もしないのはよくありません。情報収集も含めて「今日は何もしない」と決めてもいいのです。数日間、情報から離れても致命的な情報不足にはなりません。自分の処理限界を超えたと思ったら、何もしないことすら、自ら選択できることなのです。 |