私はよくしっかり者にみられますが、かなりのおっちょこちょいです。お客さまに講座の案内を送ると、2回に1回は曜日と日にちがズレてしまいます。留学時代の友人にすると、想定外の動きをするそうです。
『らくなちゅらる通信』連載の2回目。さっそく原稿の締め切りから1日遅れで納品しました(苦笑)。書く内容は決まっていたのですが、いざ取りかかったら、なにかが足りない。
そして締め切り翌日。「今日こそ原稿を提出しなきゃ!」というのに、私は部屋の窓拭きをはじめました。簡単には動じない夫も、これにはさすがに驚いて目が点になっていました。
でも、そんな想定外の動きにも、ちゃんと理由はあるのです。
身体や心につくよごれ
私の身長より50センチは高い窓を1枚1枚、無心で拭くうちに息があがります。原稿を書いてからにすればいいのですが、そのときの私には、どうしても窓拭きが必要に感じたのです。足りないと感じた「なにか」を求めて、私の身体は動き出していました。
拭きはじめると思っていたよりもよごれがたまっています。気づかないうちに、少しずつ付いたよごれ。「私たちの体や心に似ているなぁ」。そんなことをぼんやり考えながらも無心で磨いていくと、ガラスがもつ本来の透明感がよみがえってきました。窓越しに見る外の景色は、見違えるように明るく色鮮やか。より新緑も青々と輝いて見えるではないですか! それまで私が見ていた景色より、はるかに美しい! 室内まで明るく輝きだしました。
余分なものは毎日落とす
ご褒美のお茶をすすり、きれいな窓を眺めながら、ある言葉を思い出しました。それは6年ほど前に受けたアーユルヴェーダ式の集中浄化プログラムで聞いた「浄化は一生もの」でした。
浄化プログラムの目的は、私たちが日々の暮らしのなかでためてしまった体の汚れ(未消化物や過剰な質)を取りのぞくこと。5日間の浄化を終えた私の肌は透きとおり、体と心は静かで軽く、至福に満ちていました。「知らないうちに、ずいぶん汚れがたまっているものですね」と私はセラピストさんに言いました。すると彼女は「ええ、浄化は一生ものですから」とほほ笑んだのです。この瞬間、私の「浄化」に対する考えは180度変わりました。「たまったら取りのぞく」から「余分なものは毎日落とす」へと。
私たちも窓と似ていますね。生きていれば余分なものが付き、たまってしまう。だから日々きれいにしてもとに戻す。「浄化は一生もの」という言葉に出会ったときの衝撃は忘れられません。実際それを機に、私の行動は自然と変わりました。中途半端だった舌苔の掃除やオイルうがい、瞑想が毎日の習慣になっていきました。
まわりのよい影響になるように
たとえば今回の新型コロナウイルス感染拡大や大きな災害、大病、リストラなどに襲われたとき、私たちは自分の生き方や考え方、社会のあり方などを見つめなおします。それはもちろん意義のあることなのですが、もし、大きなトラブルが起きてからではなく、日常生活のなかで日々を見つめなおすことができるとしたら?
気づくことができれば、私たちは日々よごれを落として、リセットできます。するとピカピカの窓ガラスはさらに透明になって、本来持っている性質や能力を発揮できるようになります。そう、余分なものが付いていると、よい影響は発揮できないのです。
ということで、余分なもの(窓のよ汚れ)を落として、無事に原稿を書きあげられました。日々の生活のなかで自分がなにを大切にしているのか、どんな人生にしていきたいのか、見つめなおしてはいかがでしょうか?