我が子、1歳6ヶ月の慶音(けいと)が昨日、コンクリートのうえで後ろ向きに激しくひっくり返り、後頭部を打ちました。激しく泣いた直後、呼吸をしなくなり、顔がみるみるあいだに真っ青になって、もうろうとしながら目を閉じようとします。妻は、庭で雑草を燃やしている私を狂ったような大声で呼び、「どうしよう、どうしよう」と混乱しています。いつもなら私は冷静に様子を確認して行動するのですが、昨日は少しちがっていました。子どもをたくさん育ててきた友人夫婦と子どもたちが遊びにきていたのです。その夫婦が「これはヤバイよ」と混乱したようすで慶音をうかがっています。それを聞いた瞬間に、私は119番をダイヤルしていました。
この場所は、今まさにいずれ来る可能性のある食糧難を見越して建てようとしている滋賀県の田舎にある家で、昨日は建材から出る化学物質を減らす最後の工事日でした。そんな事情で不便な場所にあり、まだ登記もしていないので地図には載っていません。119番の方は住所を聞きますが、当然わからないという回答なので、私は近くの国道まで走り始めました。その瞬間、友人のご主人が「車で慶音くんを連れて行くから、救急車を停めておいてください」といってくれました。しかし、あいにくお盆はじめの日曜日、近くの救急車は別件で出動しているらしく、さらに道路は大渋滞で、救急車の到着には半時間はかかりそうなのです。合流した妻は、慶音を抱きながら意識が遠くなりそうな彼に大声で呼びかけ、私はひたすら祈り、友人は救急車の到着を雨のなか、まだかまだかと待ってくれました。
30分後、大渋滞を抜けてやってきた救急車に乗る頃には慶音は寝息をたてていて、顔色も戻って来つつありました。そこからまた40分ほどかけて大津市の大病院まで運ばれているあいだにも、ただ寝ているようにしか見えませんし、脈も呼吸も正常です。外傷もほとんどなく、どうも大丈夫そうという空気が広がりました。こんどは妻が真っ青になり、救急車の中で倒れ込んできます。少し安心したら、何かの糸が切れてしまったのでしょう。
私がこの救急車の中で考えていたことは、一つは日本の小児救急体制の厳しい現状です。今回は遠いとはいえ、すぐ受け入れ先が決まったので、何も問題はありませんでしたが、都会で何時間も救急車で受け入れ先を探してうろうろするときの、親の無念の気持ちでした。もう一つは、世界でこのような自身の過失ではなく、戦争や、戦後にも残る不発弾や地雷で負傷したり命を落としたりしてしまう子どもたちとその親、親戚のことでした。頭を打ち、外傷もない状態でも親は錯乱するのに、爆弾で殺意をもって子を殺されそうになった親、何気なく踏みつけたり手に取ったりした瞬間に手足や命まで奪う不発弾や地雷で我が子の体を傷つけられた親の気持ちは、いかほどのものでしょうか。
経済成長を果たした日本では、すでに先進国にふさわしい救急体制は崩壊の危機に立たされ、心ある医師や関係者は疲弊し苦しんでいます。戦争の惨禍で子どもが生存を脅かされることはなくなって久しいのに、救急体制はもうギリギリのところに立たされています。一方、救急体制などとても及ばない貧しい国では、まだ戦争そのものや、身勝手な兵器がまだ残されていることによって、死んだり負傷したりするだけでなく、その後の医療ですらろくに受けることができません。食べることにもことかき命を落とす子どもたちはいうまでもなく、ちゃんと元気に育ってきた子どもたちですら、ある日突然の災禍で悲しい結果を招くことになるのです。
子を思う気持ちは世界中どこでも同じでしょう。だからこそ、誰かにとって唯一無二のかわいい子どもを危険にさらすものには、全てNOといい、問題提起し、行動していきたいのです。
(ご心配をかけましたが、我が子は何も異常がなく、ひたすら寝て、元気に動き出しました。)