2007年の6月にローフードのブログを始めて以来、すごいペースで更新を続けてきた。1日に記事を2本書くのは当たり前、3本書くことも4本書くこともめずらしくなかったのだ。
それが、更新スピードが目立って落ちて来たのが、2010年の夏あたりからだと思う。
私のブログは「ローフード」のことというよりも、「ローフードを食べることによって発見した自分」のことを終始書いてきたのだけれど、書いても書いてもあふれだしてきた言葉が、ぷつりと出なくなった。書こうとしても、催眠術で「あなたは手が動かなくなる」と暗示をかけられた人のように、手が止まってしまう。
それも、つらいことがあった、とか、体調が悪かった、ということはなくて、かつてないほど自分の人生はスピード感があったのである。チャレンジはたくさんあったが、一つ一つ向きあって、取り組み方も残した結果もいいものだった。だから、もっと生き生きとブログ更新してもよかったはずなのだが……。ちなみに、この間、「以前よりさらにお元気そうですね」「幸せオーラ出てますよ」などと言われることは前より増えていた。周囲の人に、調子のよさは伝わっていたのである。
これって何だったんだろう……? 少し落ち着いてきた今になって思い当たることが一つある。今まで、ブログに綴る私のキャラは、「輝き始めたけど、まだ生きるのがヘタで、とくに恋愛関係はからっきしダメ(でもそこがファンのサポート心をかきたてる)」みたいな、少女性を多分にもっていたように思うところが、最近、明らかに「癒し」があり、「学び」があり、要するに成長して、その結果、よけいな失敗をすることが格段に減った。言いかえると、「失敗ばかりするけど、でも、一生懸命なの、ワタシ」といった、心の中に傷ついた女の子を抱えたキャラでは、もういなくなってしまったのである。
こういう、今まで自分が身に付けたことがないキャラとして自分を語る言葉を、私はまだ持っていないようなのだ。だって、今までそういう視点で世の中を眺めたことがないから。あんまり痛々しいことをしなくなってしまった自分、言いかえれば
「成功者」(?)に近づいた自分というものに対する、照れもある。かくして、ブログで自分を表現する言葉に、ためらいを感じてしまう私なのだ。女の子が女性へと成熟を遂げて、女らしい曲線を生かした大人の服に袖を通したら、予想以上に似あってしまった姿を見るのと同じためらいかもしれない。
ホ・オポノポノ初め、世界中の癒しの教えでは、過去のデータを自分の心から洗い流すようにと勧めている。その良い体験が、「もう一度」という、執着心へとつながるからである。私もこのまま、「過去のキャラ」「過去の愛され方」は次第に忘れていくかもしれない。そして私から新たな成熟の言葉が生まれてくるのに、今しばらく時間がかかりそうだ。
石塚 とも
石塚 とも氏 東京都生まれ、慶応大学文学部卒。大手出版社勤務を経てフリーに。2001年、品田雄吉賞を受賞し、映画評論家として活動開始。 2006年、ローフードを推奨する健康法「ナチュラル・ハイジーン」と出会い、体重10キロ減を初めとしてさまざまな心身の変革を体験。ローフードが持つ科学的、社会的、人文学的な魅力に魅せられ、研究を重ねる。書籍、講演、ブログを通じて、ローな自分と世界に起こるさまざまな変化を発信し続ける。 著書に『ローフード 私をキレイにした不思議な食べもの』など。 |