腹も正論も八分目に
「腹八分目に医者いらず」といいますが、食事に限らず何事も〝八分目〟くらいがちょうどよいものです。とくに人間関係においては、相手に自分を重ね合わせてしまい完璧を求めてしまうことで、お互いにつらくなることもありますね。そもそも別々の人生を歩んできた者同士が同じであるはずがありません。違っていて当たり前くらいの気持ちで、八割方も理解しあえることができれば十分ではないでしょうか。
江戸時代の儒学者・貝原益軒の言葉に「聖人をもってわが身を正すべし、聖人をもって人を正すべからず。凡人をもって人を許すべし、凡人をもってわが身を許すべからず」とあります。聖人とは自分を正そうとする人のことで、人を正そうとするものではない、凡人とは人を許すもので自分を許さないものだ、といったところでしょうか。いくら正論であっても、それを人に押しつけてしまう行為は正しいとはいえないのでしょう。ともに一緒になにかをできればいいのであって、同じになってしまう必要はないのですから。
質問を深めてみる
最近の私は、治療院での研修生に対して、また、講座などの場で質問されたときなど、ときどき質問を投げ返してみています。それは、私からの回答が絶対に正しいものと鵜呑みにしてしまい「こうあるべき」と囚われて欲しくないからです。囚われてしまった先は依存を生み出し、私に聞かないとなにもできない人になってしまう危険性があります。それでは真の学びとはいえないように思うのです。
尋ね返すことで対話を重ねていきながら、なぜ疑問に思ったのかと向き合っていく。疑問点について、浅い表層からより深層へと深めていきながら、自分自身で考える力を養ってほしいと願っています。
その先にあるものを共有する
研修生に対して質問をする意図として、もうひとつは、患者さん自身がその先に求める「未来像」を共有しておきたいということがあります。完璧を求めないまでも、そこに近づく努力はしていきたいのです。
学生スポーツ選手であれば、いまある痛みだけ治まればよいのか、なぜその痛みが起こるのかを一緒に考えていくのか、これを機に動き方を変えていこうとするのかなど、関わり方が変わってきます。
一般の患者さんならば、例えば関節炎で動けないとき、痛みだけ治まればよいのであれば、治療にかかる前にとりあえずは鎮痛剤でも飲んでおくように伝えたほうが的確なアドバイスとなる場合もあります。 患者さんの未来の姿を共有できてないがために、お互いに残念な思いをしてしまうことにもなりかねません。時間の無駄になるだけでなく、お互いに嫌な感情を抱いてしまうのではもったいないことです。
導き出すのは「最適解」
質問と対話を重ねていくことで、正解を求めるのではなく、自分たちならではの「最適解」を導き出せるようになります。誰かほかの人にとって良かったことが、自分にも正しいとは限りません。自分が置かれている状況において最も適切と思える「解」を得られるようになっていくことが、自分らしくあることにつながります。
禅の考えに「即今、当処、自己」という言葉があります。いま、ここ、自分。今やらなければいつやるのか、ここでやらなければどこでやるのか、自分がやらなければ誰がやるのか。自分がいまここでやるということが腑に落ちれば、行動はきっとついてきます。
もし、なかなか行動できない自分に悩みがあるとするなら、もう一度向き合ってみるといいかもしれません。
圭鍼灸院 院長 鍼灸師
マクロビオティック・カウンセラー
西下 圭一(にしした けいいち)
新生児から高齢者まで、整形外科から内科まで。
年齢や症状を問わないオールラウンドな治療スタイルは「駆け込み寺」と称され医療関係者やセラピストも多数来院。
自身も生涯現役を目指すアスリートで動作解析・運動指導に定評がありプロ選手やトップアスリートに支持されている。
兵庫県明石市大久保町福田2-1-18サングリーン大久保1F
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