主人公
自分の人生のなかでは自分が主人公とはよく言われていることですが、現実にその通りに生きているかと問われるとなかなかそうはいきません。
禅語で「主人公」とは、本来の自己、真実の自分の姿そのものの意。坐禅の「坐」の字は、土の上に人と人とが向かい合って座っている姿を表していますが、この人とは、どちらも自分のこと。「しっかりしているか」と問いかける自分と、「はい」と確認する自分。この二人の自分を指すのだとか。
俗にいう「指示待ち人間」では、命令する人の人生の物語で脇役を演じていることになるのかも知れません。「人からすごいと言われたい」「人をがっかりされたくない」という他人からの評価が気になるのも、他人にコントロールされているともいえそうです。自分で自分を確認する、自己評価するというのは難しいことでしょうが、まずは人と比較することをやめてみるだけでも少し気分が楽になるのではないでしょうか。
表のカンジョウ、裏のシンリ
「オモテ大なれば、ウラもまた大なり」とは、マクロビオティックの祖・桜沢如一氏の言葉で、見えている部分が大きければ大きいほど、見えない部分も大きいということになります。
人の感情面から考えてみます。
想定外のことが起こったときの反応として、相手に怒りをぶちまける人、なかには「責任者をだせ」とばかりに怒鳴り散らす人がいます。これは、相手に対しては完璧であるべきと求めているからですが、そうであればあるほど相対的には自分は何もできないと過小評価し相手に委ねきっているということになります。最悪を想定して動けなかった自分自身への怒りの現れでもあるのです。
信頼する人からの一言で傷ついた、というような話でも同じことが言えます。確かに、信頼していた相手からの何気ない一言が心に突き刺さって悲しい思いをすることもあるでしょう。しかし、これも見方を変えてみれば、たった一言で崩れさる程度の人間関係しか築けなかった自分自身への過小評価になります。
さらに別の見方をすれば、その一言も自分を期待してくれているからこその言葉かも知れません。自分を信頼してくれているからこそ、嫌われる覚悟で注意してくれたかも知れないのです。その貴重な忠告を無にしてしまうのは、自分が相手を信頼していないという心の現れかも知れません。このような場合、さらに厄介なのは、こうしたことを周囲の人たちに言えば言うほど、私は人間関係を築けないような人間なのだと自己暗示をかけていくことにもなりかねないということです。
選択と集中
この稿を書いている現在は、リオ五輪の開幕前です。どんな結果が出たにせよ、選手一人ひとりを見ると、きっと好不調の波があったはず。そこに周囲からの声が届くことでしょう。栄養士からは食事の問題、メンタルコーチからは心構えについての指摘など、結果に対してはなんとでも言えるものです。当の選手としてはまず、自分自身がどう結果と向き合えるかが大切であり、ときには人からのアドバイスも無視するくらいのふてぶてしさも必要かもしれません。良い人過ぎても結果は出ないものです。自分のなかにある自由を守ることができるのは自分です。なにが本当に必要か、なにが欠けていたかを選択できないようでは、なにかに集中することもできない。分散したままでは自分に軸はもてないでしょう。最も大切なもの以外のひとつを諦めることも肝心なのではないでしょうか。
人間だから、間違えることもあります。何ごとも完璧にやり遂げることなどあり得ない。そう考えておくことで生まれてくる余裕もあります。
自分の人生を生きるためには、人のせいにするのを減らしていくこと。自分の軸がしっかりすれば、人のことも単純な善悪で判断せずに個性と認められるようになります。自分と向き合う時間を大切にしたいものです。
圭鍼灸院 院長 鍼灸師
マクロビオティック・カウンセラー
西下 圭一(にしした けいいち)
新生児から高齢者まで、整形外科から内科まで。
年齢や症状を問わないオールラウンドな治療スタイルは「駆け込み寺」と称され医療関係者やセラピストも多数来院。
自身も生涯現役を目指すアスリートで動作解析・運動指導に定評がありプロ選手やトップアスリートに支持されている。
兵庫県明石市大久保町福田2-1-18サングリーン大久保1F
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