お腹が痛いときにはお腹を擦り、頭痛のときは頭を抱える。
私たちは、身体に痛いところがあるとき、なぜか自然とそこに手がいきます。
お手当てとは、手を当てることで得られる安心感があればこそのものでしょうね。
まず問診で身体の状態を聴き、手首の脈に触れて脈診、お腹に触れて腹診、そして痛みやつらさのある部位の触診へと移り治療に入っていくのが私の診察の流れです。
患者さんによっては、この時点ですでに「あぁ、安心する」と言ったり、涙ぐんだりされることもあり、お手当ての大切さを痛感します。
医療者と患者との距離
古代ギリシャの医聖ヒポクラテスは「医者たるものは医術についてのあらゆる学理とともに、マッサージも修得せよ」と触れることの重要性を説いたといわれています。
以後、長きにわたって視覚的・聴覚的のほかに触覚的な感覚も駆使して診断することが続きました。
19世紀に入ると、筒形の聴診器の発明により、肌と肌を介した診断は終わりを遂げ、X線の発明によって、患者の姿を直接にみることすら必要なくなっていきました。
こうして患者より患部を“診る”、全体より部分を“見る”方向へと医療が進化したのです。
医療においては、お世話をするという意味の“看る”があります。
この「看」は「手」と「目」と書きますが、「手」の存在が置き去りにされてしまい「手を出さない看護」とまで言われるようになってしまいました。
「痛いところも触ってもらえない」「つらくても手も握ってもらえない」、それどころか「ディスプレイばかり見て、こちらとは目も合わせてくれようとしない」といった不満を抱えた患者さんにとって、先の流れでの治療は安心できる要因の一つになるのでしょう。
患部だけでなく、患者さんの心と身体を含めた全体を「人」として癒やす気持ちを忘れずにいたいものです。
親子の“ふれあい”が大切
身体に触れることは、子育てにおいても大切です。
とくに身近な存在である親から日常的に触れてもらうことで、身体だけでなく心も育っていくのです。
乳幼児の夜泣き、風邪、アレルギー、ケガなど、子どものさまざまな症状も診ていますが、どのような場合も、お母さんに「いっぱい触ってあげて」と伝えています。
「どこのツボを?」と尋ねられることもあるのですが、「わからないときは、抱っこ」と答えています。
首から背中にかけて重要なツボはいくつもあるのですが、どこをというよりは全体に手を当ててあげることがもっと大切だと思っています。
小さなお子さんでは、皮膚感覚は触れられることで磨かれていきます。
身体心理学者の山口創先生は著書『手の治癒力』に「親にしっかりとスキンシップされて愛情を肌で感じている子どもは、少々叱られても厳しく怒鳴られても、親の愛情を疑うことはない」と書かれています。
触れられることで身体に根差した感情、親密感や優しさ、愛情、信頼感が育まれていくようです。
乳児期は肌を離さず、幼児期は手を離さず、学童期は目を離さず、思春期は心を離さず。
子どもの肌に触れすぎるということはありません、小さなうちにいっぱい触れてあげてほしいと思います。
大人になると、さすがに母親に撫でてもらうわけにはいかないでしょうが、皮膚に触れることの大切さは変わりません。
やはりお腹が痛ければお腹に手がいきますし、緊張すれば手を擦り合わせたりするのも、無意識のうちにセルフタッチしていると考えられます。
つらいときに、身近な存在からハグされることで得られる安心感は代え難いものがあります。
「背中には涙のツボがある」といわれるほどで、ハグしながら背中にじっと触れられることで、身体は緩み、心も解れてきます。
恥ずかしがらずに、家族や身近な人と手をつないだり、ハグしたりしてみませんか。