「先日は紹介ありがとう。できるかぎりのことはさせてもらうね」。先日久しぶりに再会した恩師から声を掛けられました。数か月前に遠方から相談に来られた患者さんを、ちょうど地域が近かったのもあって、安心してお願いできる先として恩師を紹介させていただいたのでした。「できるかぎりのことをさせてもらう」と謙虚に言われるのが先生らしいなと感じました。
どんな名人にお世話になったとしても、生活状況を見直すこともないままですんなりと治ってしまうとは考えにくいもの。ときどき「私が治してあげる」と言い切る治療者の噂を耳にすることもありますが、正直あまり信用しようとは思えません。「(私が)治す」と言い切れるということは、裏を返せば「(私が)病気をつくる」こともできそうですし、人さまの健康を自在に操れるかのような印象を受けるのです。
取れるのは一点
今年の春にはワールドベースボールクラシック(WBC)が開催され、日本代表チームが優勝しました。その流れで例年以上にプロ野球を観戦する人が増えているそうです。野球の試合で終盤に入ってから満塁ホームランで逆転するような場面があると大いに盛り上がりますね。それに喩えて「逆転満塁ホームランみたいな治療をして」と要望されて、困ることがあります。
どんなホームランであろうと、それを打った選手は一度しか本塁を踏むことはできません。特大のホームランだろうが一点しか取れないのです。それが逆転ホームランになるのは、その前の打者がヒットを放って塁に出ている、先にその積み重ねがあるからです。ホームランバッターばかりでも試合には勝てません。確実に塁に出る選手がいて、堅実に守り切る守備の選手がいて、相手に打たれない投手がいてこそ初めて試合に勝てるのです。WBCでも、プロ野球でも、草野球でも、それは変わることはありません。
治療でも同じことで、日常生活の積み重ねがあり、家族の支えがあり、そこに病院での治療やクスリ、あるいは代替医療が合わさったときに治療効果が目に見えて現れるものでしょう。それを一つの名人芸で著効を期待するのは、一本のホームラン、一人のバッターで何点でも取れるというようなものなのです。
病院での治療を受けることに決め、それまでに少しでもできることをやっておきたいという患者さんがおられました。食事や生活習慣を改め、軽い体操を取り入れたり、仕事の時間を減らしたりしつつ、入院する前の週まで続けて来院していただきました。数週間後に、「治療がうまくいった」と元気な顔を見せてくださいました。いくつもある選択肢のなかから自分に必要だと思うものを選択し、それぞれの役割がうまく噛み合ったのだと思われます。ただただ「どうしよう」と不安がるのではなく、自分にできることをやる。他人に頼らずに自分で決めて最善を尽くし、最後のところで委ねるというバランスも大事だったのかもしれません。
彩りの本質
禅の言葉に「山是青々花是紅」とあります。山はどこまでも青々としていて、そのなかで花は鮮やかに紅く咲いているということ。違いがあるからこそ、お互いを際立たせることができる。コントラストの素晴らしさともいえます。自分を理解して役割を全うしようとするからこそ、自分とは違う素質とともにできるものがあることでさらに素晴らしいものになるということです。
一枚の絵も、さまざまな色があって美しい。どんなに美しい色であっても、単色では絵としては成り立ちません。一つひとつの物事に意味があることを大切にしたいですね。