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インタビュー取材しました。

共に生きることが当たり前となる場を
コミュニティカフェ「はうす結」 共同運営者 上西 幹子 氏インタビュー(後編)

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京都市上京区に、障がいの有無や年齢、背景を問わず、いろいろな人が気軽に行ける場「はうす結」があります。そんな温かい場を運営する上西幹子さんの娘の結子ちゃんは、ダウン症という障がいがありますが、ダンス、絵画、写真が得意で、通信制の高校にもひとりで通っていました。どんな思いで子育てしてこられたのか、また、「はうす結」を作った経緯についてお話を伺った後編です。

はうす結 共同運営者
上西 幹子(うえにし みきこ)

米国フェアリー・ディキンソン大学出身。ダウン症の娘の将来を見据えて新しい道を模索。障がいの有無や、年齢など特性や背景などが異なる人が一つの場所でいっしょに過ごすことの大切さ、ただ話を聞いてくれる「場」の必要性を感じ、同じく障がいのある子を育てる宮本真弓さんと「はうす結」を立ち上げた。気軽に座って話せるような土間があるスペースは、幹子さんの夫が町家をリノベーション工事したもの。
はうす結 公式サイト https://cafehouseyui.jimdosite.com/
はうす結 インスタグラム https://www.instagram.com/house_yui/

高校進学を考慮して
成績表をつけてもらう

——中学校での高校進学の経緯について教えていただけますか?
中学校で娘は「育成学級」にいました。育成学級の生徒には「成績表」がありません。育成学級からの一般的な進路は「支援学校」です。支援学校に進学するなら内申書は必要ありません。でも、私は、万が一、高校受験できるような状況が整うことがあってもいいようにと、「オール1でもいいから成績表を作ってもらいたい」と学校に交渉して成績表をつけてもらいました。でも、実際に蓋を開けてみると、オール1ではありませんでした。絶対評価のため、出席や提出物などが重視されるのもよかったのでしょうね。

中学三年生のときに娘に進路の希望を聞くと「もっと勉強したい」ということでした。「支援学校」には彼女の望む教科学習がなかったので、やはり、高校受験を考えることにしました。公立は無理だとして、私立の普通高校に受験させてもらえないか、学校から連絡してもらいました。でも、娘の状態を確認することも会うこともなく、障がい名だけで「前例がないから」と受験させてもらえませんでした。そこで、通信制の高校に問い合わせてもらったところ、10数校のうち3校だけが面接可能となり、そのうち2校が熱意を持って受け入れようとしてくれました。最終的に決めたのは中学生の時に参加した「ヤング・アメリカンズ※」と提携していた学校です。通信制で週に何日通えるかを選べました。週5日通うことを本人が選び、ひとりで公共交通機関で通うことになりました。親や学校の先生の心配をよそに、初めての友だちとも仲よくなり、楽しそうに3年間通いました。

——ひとりで通学されたのですね! 高校卒業後はどうされましたか?

障がいのある子の進路は就労支援事業所など選択肢は多くはありません。娘はオープンキャンパスに行ってみて、志望校をデザインの専門学校に決めて、学校の先生に相談。先生も背中を押してくださいました。でも、AO入試で落ちました。ダウン症を理由に断られることはなかったけれど「受験してもいいが特別扱いはできない」とのこと。それでも、いい経験になったと思います。ダウン症の子が受験をする。その前例が、デザインの専門学校側にも残ったはずです。

——現在はどうしておられますか?
NPO法人の自立訓練(生活訓練)施設に週5日通っています。音楽、絵画、写真などの表現も大切にしつつ、いろいろな仕事の可能性に触れさせる施設です。いきなり仕事というのは、障がいのある子にとっては大変です。彼女たちこそ、本来もっとゆっくりと就職先を探せるようにしてあげるべきなんです。

——どんなことを大切に、娘さんを育ててこられましたか?
「選択肢を広げてあげたい」ということです。障害があろうがなかろうが、本人が「やってみたい」と意志表示したときに「無理」と答えることがないようにしてあげたいなと思ってきました。中学の成績表もそのためです。 

子どものころから、七田式、公文、水泳、ピアノ、ダンスなどいろいろさせてきました。漢検も受験しました。できるかどうかはわからないけれど、なんでもさせる。できなければやめればいい。でも、最初から「この子にはできないだろう」と決めて機会を取りあげたら選択肢は狭まってしまう。

※アメリカに本部を置く非営利団体。世界中から集まったパフォーマーが学校やコミュニティを訪れて、子どもたちと共に数日間で歌やダンスのショーを作るなどの音楽教育をおこなう

「前例」がないなら
作ればいい

——お話を伺っていると、本人もチャレンジが好きそうですね。
親が好きだからという影響はあると思いますが、好きですね。中学三年生のとき、高校受験模試にもチャレンジしたんですが、最初は緊張したものの、だんだん楽しくなってきたようでしたし、そのために一生懸命勉強しようとしていました。

「知的障害」について「なにを言ってもよく理解できない」と、勝手なイメージを持たれてしまっている気がします。でも、私も周りも、娘がこちらの話を理解していないとは思っていません。もちろん、実際にわかっていないこともあったかもしれません。でも、わかっていると思って語り続けてきたことがよかったのかもしれません。

障害のある子たちはいろいろ体験したほうがいいと話すとき、その「体験」の枠を、ものすごく狭い範囲に設定している方が多い気がします。たとえば、土遊びや粘土などがいいと決めつけられがちです。でも、知らない世界を知ることって面白いじゃないですか。いまだに、娘に英語を習わせているのも、海外に行けば、また新しい世界を見ることができるのではないかと思っているからです。日本語もまともに話せないのに、英語なんてと言う人もいます。その人は「まず日本語」と学ぶ順番を決めているのでしょう。でも、娘はまだ拙い日本語かもしれないけれど、そこに英語や中国語などがインプットされたら、それも刺激になると思います。文化も言葉も、みんなごちゃまぜのほうがいいと思うんです。私自身、アメリカに留学していたときに、現地の人たちのなかにいるようにしていました。多様性のなかにいることが大切だと思っていたんです。同じように娘も、やはり障がいの有無とは関係のないところで暮らすことが大切ではないかと、私は考えています。

——あらためて「障がいのある子」を育てる多くの親は、どういったことに悩むものだと感じておられますか。
それぞれだと思うのですが、私は、彼女自身の発達について悩んだ、ということは、実は、ないんです。

ただ、ほかの健常の赤ちゃんを見ていて、医者にも弁護士にもなれるかもしれないという限界のない世界を感じたときに、その可能性が、結子にあるのだろうかというと……そうは思えませんでした。もちろんそういった仕事がベストという話ではありません。でも、よく聞く「うちの子、もしかしたら◯◯になったりして」というセリフを私は言えなかった。わが子が健常児なら、きっと言えたと思います。できる限りの選択肢を広げてやりたいとは思っていました。でも、それが「無限ではない」ことはダウン症について知識を得ていない私でも知っていました。そういう意味で、どこか夢や希望の持てない辛さはあったのだと思います。子育てって楽しいだけじゃなくて辛いこともありますよね。それでもどこかで「いつかいっしょにショッピングに出かけるんだろうな」「いつかこの子は◯◯になるかもしれないな」などと夢見ているからがんばれると思うんです。それが持てず、先の不安ばかりでつらさが際立ったのかもしれません。

障がいのある子どもたちが、実際に希望のある未来を過ごしているという話が、日本だけじゃなく世界中にあるはずで、私はそれを聞きたいと思っていました。実際にそうなれるかどうかは別として、知ることで、そこに希望が持てるはずなんです。でも、そんな人には実際に会えないし話を聞けない。否定的な話しか聞けなかったら、やはりそこに夢や希望は持てませんよね。

娘を育てていくなかで、習いごとに始まって学校生活など多くの場面で、「前例がないから」と受け入れてもらえないことが、何度も何度もありました。でも、それを理由にしていたら、この先もずっと同じ理由で、トライできない子がどこかで増え続けていくことになる。それは同時に、断られることで傷つく親が増え続けていくということ。そんなことをなくしたいと思い、前例がないなら崩せばいい、崩さなくてはと思いました。

結子の選択肢を広げてやりたいと思ったのは、彼女を「すごい子」に育て上げたいからではなく、彼女が、もし前例となれたら、同じ境遇にある人の希望になれるかもしれないという思いがあったからです。それで、いろいろ体験させたり、通信制の高校に行かせたり、デザインの専門学校の受験もさせました。「前例がない」ってチャンスという言葉だと思うんです。私が望んでいたような、人々の思い込みを崩せるほどの前例は作れなかったのかもしれまん。それでもいろいろなことにチャレンジさせたことは、本当にいい経験になったと思っています。

だれでも当たり前に集える
ごちゃまぜの「場」を

——「はうす結」を作った経緯についても教えていただけますか?
私自身が娘を育てるなかでしんどい思いを一人で抱え込み、話せる場所を求めていたことがきっかけです。自分が作ることになるとは思っていませんでした。偶然か必然か、障がいのある子を育てる宮本真弓さんと出会い、同じような居場所を求めているとわかり翌月には動き始めました。「はうす結」で気持ちをリセットして、家に帰って笑顔でお子さんと接してもらえたらとスタートしました。「ごちゃまぜ」で集える場と謳っていますが、障がいの有無だけではありません。たとえば、子どもの有無、未既婚など、多様な背景を持つ多世代の人とおしゃべりすることで、自分が目の前の苦しみに囚われていることに気づいたり、自分だけじゃないんだなと少し客観視できたりすると思うんです。私自身、ほかの方の苦しみに触れて気づけたことがたくさんあります。また、結子が健常の子とごちゃまぜで育った環境で、お互いに成長のきっかけとなっていると感じたことも、「ごちゃまぜ」をテーマとしていることに繋がっています。結子の居場所のために作ったと思われることがありますが、そうではありません。「障がいがあるからいじめられないようにしたい、守り抜きたい」という考え方もあるようですが、本人の体験を奪うことになりかねません。小さいころにしかできない失敗があります。小さな失敗を体験することで子どもは成長すると思うんです。失敗は、子どもにとって成長の機会だと思います。子どもを一生守り続けるわけにはいきません。私たちの方が先に死ぬのですから。その後、わが子をだれが守るのか。しっかり生きる力を身につけさせるには、失敗させることも大切です。「愛情を持って突き放す」ということがあってもいいと思うんです。それに、子どもは親の想像以上に力を秘めていますし、子どもから学ぶことは、たくさんあります。娘は身をもって「もっと楽しく生きたらいいのに」と、私に伝えてくれているのだと思います。

——今後について伺えますか?
結子については、もっと海外に連れて行きたいです。彼女は海外のほうがのびのびできそうだしラテン系とか合いそうな気がして。結子にもさまざまな国や文化を身体で感じてほしいです。

活動としては、「障がい者」と「健常者」について、「助けられる人」「助ける人」と捉える対等ではない考え方や、その境界をなくしていきたいと思っています。友達も多く生きる力がある娘を見ていると、障がいの有無に関係なく、それぞれの人が凸凹を埋め合うような働き方を提供できる「場」を作りたいなと感じます。それぞれが長所を活かして働けたらと。障がいのある人は福祉施設で働いてもわずかな金額しかもらえないと聞きます。そこに疑問を感じても拒否できないのが現状です。マイノリティが生きやすい世の中になることを願っています。「はうす結」はあくまでもそのベース。たくさんの人に「今のままの自分でいいんだ」「心地いいな」と気づいてもらいたい。多様性といわれますが、年齢や特性で分類されることは多いですよね。そして、似た条件の人が集まるから、少しの違いが気になる。でも、ごちゃまぜでいることでいろいろな人がいて当然だと思える。一つの場にいっしょにいることが自然なはずだと思うんです。健常、障がいと分けるのではなく、NHKの朝ドラ『ちむどんどん』の「まもるちゃん」のように、自然に当たり前にいっしょに暮らしていけたらいいですよね。

——たしかに分類することで余計に違いが浮き彫りになりますね。
そうなんです。だから自分に足りないものを補わなきゃ、がんばらなきゃと思ってしまう。一人で完璧になる必要はないはずです。違いがある人がたくさん存在するということは経験してみないとわからない。「はうす結」でそれを感じてもらえたら、多様な人と共に学ぶのも共に働くのも自然なことだと思えるはずです。運営している二人だけではそれは作れません。今、共感してくださる方の輪が広がっています。仲間になってくれる人や、応援してくれる人が増えるとどうなっていくのか、これからが楽しみです。

- 特集 - 2023年5月発刊 vol.188

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