あれは約13年前。私はほぼ一週間、鹿児島の過疎地を巡っていました。目的は「何でも売る巨大スーパーセンター」A-Z(エーゼット)さんの各店舗の視察です。いろいろなテレビ番組で紹介されていたので、ご存じの方も多いでしょう。この日本一、日本初の取り組みを田舎での店舗販売というスタイルで実践してきた株式会社マキオの創業者、牧尾英二さんが他界され、偲ぶ会に出席するためにまた鹿児島にやってきました。
当時は牧尾社長が「利益第二主義」という刺激的なタイトルの本を上梓された直後で、同じようなことを考えて経営者として10年目を迎えていた私には、先輩社長が売上や利益を最重視しないで安定的な経営ができているという事実をこの目で確認したかったというのが一番大きな理由でした。弊社とA-Zには大きな違いもあるのですが、当時も今も変わらない共通項がたくさんあります。
・ 売上や利益を最優先にしない、その目標を立てない
・ 数字を細かく分析しすぎない、振り回されない
・ マニュアルでスタッフを縛らない
・ 業種に縛られないで天命に従う 等々……
あえて誰も事業など成功しないと吹聴する過疎地にばかり、東京ドームがいくつも入るような巨大店舗を建設して365日、24時間営業、たとえ災害が起きようとも槍が降ろうとも店を開け続けてきたA-Zの一貫した天命は、『地域に暮らす皆さまの、日々の生活のお手伝い』と明文化され、全スタッフに共有されています。当時の私が書いた記事によれば、「ゆりかごから墓まで、大根から車まで」の商品数36万点以上、直近では3店舗で売上280億円を産み出し」とあります。直近の事情は確認していませんが、地域とそこに暮らす人たちに圧倒的な貢献をすると決め、それをとことん追求することで、圧倒的な影響力を発揮され、今回の偲ぶ会にも600名を超える皆さんがお集まりになり、故人の偉大な業績を回想されていました。
一方、弊社のミッション&ビジョンは『あなたが大切に思う人を あなたが大切にできるようにお手伝いしたい それがどこかの誰かに そして無限の未来に きっと繋がっていく‥‥』というもので、ただこの一点突破でやってきました。当時の視察時点ではお客様と直接顔を合わせる弊社の店舗は存在しませんでしたが、今考えればその後私も大いに影響されたのか、いくつかの直営店舗を開くことになり、一方で金融機関にも「一切の売上目標は立てず、社内にはノルマがありません」と憚ることもなく公言するようになってしまい、一時はずいぶん業績も悪く干されました。それでもなおやり続けているとバカはバカでも意外とちゃんとしていると思われたのか、融資も受けられるようになっています。これについても牧尾社長から銀行から干された話や、実績を出せば手のひらを返したように融資団まで組織される話を聞いていたので、地道に天命を信じてやるしかないと覚悟を決められたのです。
突然の訃報と、『時間は命』
そんな豪傑で自然の摂理を愛した英二社長が半ば突然にお亡くなりになったのが昨年の夏。後継者が決まっていなかった同社には、また大きな転機がやってきました。独自の価値観を一代で築きあげてきた偉大な創業社長がいなくなったあとに残された皆さまの苦労はいかばかりかと心配をしている間もなく、休むことが許されない年中無休の店ゆえの現実が次々と押し寄せてきます。実は、英二前社長のお嬢様である牧尾由美さんと私とは、かつやま子どもの村小中学校での保護者仲間、そして子どもたちは友達同士という関係だったので、私がA-Zさんにお邪魔をして勉強させていただく機会に恵まれたのです。新たに代表取締役となられた由美さんが、偲ぶ会の最後の席で挨拶されました。前日にお会いしたときには「まだなにを話すか、考えていません」と仰っていたのですが、私はきっと、その場に立たれたらどこかから言葉が湧き出てくると信じていましたし、そのようにお伝えしました。案の定、由美さんはなにも持たずにマイクの前に立たれ、お話を始められたのです。お父様が誰にも看取られずに、ひとりで大好きだった大地を抱いてお亡くなりになったこと、お父様の天命だったひとときも休むことなく店を開け続けるという責任感のためにその瞬間も偲ぶ会に参加せず店を開けているスタッフの皆さんがいること、そして参会の皆さんに感謝を述べられた一節です。「父は、ことあるごとに時間を守りなさいと教えていました。なぜなら、『時間は命』そのものだからです。皆さんの命である時間を、父のために使っていただいて、ほんとうにありがとうございます」。
時間は誰にでも平等です。命である時間をなにに使うのか? 偉大な人は、それを人のために使おうとし、それは紆余曲折を経ても次世代に引き継がれるということを目の当たりにしました。『竹は節目からしか芽が出ない。その節目をチャンスと捉えよ』— 英二社長の残された言葉のひとつです。心にとめて、困難を、変化を受け入れていこうと改めて決意した瞬間となりました。