2015年 11月 の投稿一覧

【Vol.98】宮古(島)から世界へ 3

 「朝も昼も夜も常にアサでした」(笑)。9 月20日(日)にヘンプカープロジェクトを推し進める中山康直さんの講演会と交流会がありました。「ヘンプカープロジェクトとはヘンプ油で車を走らせながら、全国各地の麻にゆかりのある土地やを訪ね、交流し、石油などの地下資源浪費型文明の克服にむけてお互いの知恵を出し合い、地域還元型社会の創造に向けて環境・経済・文化全てにわたり、ヘンプがいに有用・重用であるかを理解し合う事を続けていく事です。2002年に始めた時は何もかも手さぐり状態でした。廃食油で車を走らす試みが各地であり、私たちもその車を借りて、同じようにヘンプの廃油を使いました。2011年東北震災・原発事故をきっかけにプロジェクトを再開しました。2011年7月7日~8月8日北海道。同年10月22日~11月6日東海。2012年8月8日~8月21日富士山麓→四国→淡路。2013年6月29日~7月8日三重→奈良→大。同年8月8日~9月8日東北・北陸。2014年近畿→山陰→山陽。2015年山陽→北陸。麻の実の国内生産量は少なく外国から麻の実を輸入し、自分たちで直接搾油し、沈殿物はヘンプバターとして販売しました。各地の交流会場では搾油体験やヘンプバターの試食も行いました。特に子ども達に大受けでした。ヘンプカー(キャンピングカーを利用している)の内部も工夫を重ね、毎年進歩してきています。特殊なバッテリーも利用し、停車中でも様々な電気器具が使えます。アメリカ、イギリス、ドイツでは車の内装品だけでなく、車体やガラスにもヘンプ製品の利用が拡がっています。原料となるヘンプ生産も拡大し、重要な産業に発展しつつあります」。中山さんの話はヘンプカープロジェクトだけでなく、ヘンプ(麻)の歴史・種類・ヘンプの無限の可能性と切り開く未来と続きました。ヘンプは宇宙=神からの贈り物である事をくり返し強調しました。
 (中山康直。1964年静岡生まれ。1998年伊豆大島に移住。大麻取扱者免許を取得。縄文エネルギー研究所代表。大麻草検証委員会幹事。) 私たちは宮古(島)の未来とヘンプの可能性について8年前から研究を続けてきています。私はヘンプの大きな可能性に気づきました。地元の新聞に「ヘンプ=産業用大麻(オオアサ)は宮古を救う!」を載せました。
 「昔から宮古(島)の人たちは台風・干ばつ・悪政(人頭税)に苦しみ、常に飢餓の恐怖に直面していた。16世紀末にイモが伝来し、明治期に人頭税廃止後にサトウキビの本格的生産が定着した。イモとキビは他の雑穀類や豆類と共に宮古(島)の人たちのいのちとくらしを支えてきた。しかし、現在、食と農をとりまく環境は大きく変わった。雑穀類、豆類、麦もなくなった。野菜の大規模栽培が盛んになってきたがそれは宮古(島)の人たちが食べるためではなく東京・大阪市場に出荷するためであり、宮古(島)を自分たちの手で大都市の植民地に変えてしまいましたった。しかもその清算のしかたは環境破壊型である。土も空気も水も緑も鳥も虫も微生物も人間の健康も破壊し、破滅への道を選んでいる。宮古(島)の再生は今のあり方を根本的本質的に変える事から始まる。破壊型から蘇生型に変える事だ。生産・加工・流通・販売全分野において生産農家を主役とするあり方をつくる必要がある。無限の可能性を持ったヘンプが宮古(島)には必要である。」 これが新聞に載せた内容の大筋です。今でもこの考え方、方向性は変わりません。ヘンプカープロジェクトの話を聞くと宮古(島)が直面している問題は全国的に拡大し深刻化していると思います。自然エネルギーに目が向けられ、宮古(島)でも国策として風力発電・太陽光発電・サトウキビの利用が進められていますが、あまり良い結果を出していません。台風の問題もありますが、何よりも高度な技術と莫大な資金が必要であり、宮古(島)の人たちには出来ません。ヘンプは出来ます。自然エネルギーとしてヘンプに勝る素材はありません。麻の実は体にいい栄養素をバランス良く含んでいると言われます。ミネラル豊富な宮古(島)の土壌で育ったヘンプの実は世界でも有数の良質な食材になるでしょう。

【らくなちゅらる通信97号の訂正】

■ 2段目1行目
(誤)先日ネパールに……
(正)伊加賀さんは語っています。
   「先日ネパールに……
■ 2段目6行目
(誤)原酒 (正)原種

川平 俊男
1950年米軍統治下の宮古島で生まれる。家業は農業。自然豊かな前近代的農業、農村で育つ。69年島根大学へ留学。趣味は器械体操といたずらを考えること。70年代から親の家計を助けるため那覇で働く。「オキナワーヤマトユイの会」に参加し援農活動の受け入れ。「琉球弧の住民運動」事務局に参加し奄美琉球各地域島々の地域づくり島興し運動を支援。沖縄農漁村文化協会を結成し農漁業、農漁村の未来像の研究を続ける。宮古島に戻り農業をしながら自然塾を主宰し、農的学習法を編み出し、地域教育に取り組む。一方で農作物の研究および生産を始める。多くの生産者が作っても売れない事情を知り販路拡大の応援。95年ごろ「宮古の農業を考える会」を結成し有機農法の普及拡大と循環型社会づくり運動を始める。有機農法の限界に気付き、無農薬無肥料栽培に進む。10年前から親の介護を続ける。

プレマ株式会社の『宮古島プロジェクト
宮古島の自然農法を推進し、島の健全な地下水と珊瑚礁を守り、お客様に安心と安全を届けます。

【Vol.98】野菜の観察:にんじん畑

 今回は2012年6月に書いたブログ記事を紹介いたします。 当時、プレマ株式会社に入社・宮古島に赴任してちょうど1ヵ月後で、土に触れたことのなかった私には、それこそ野菜の実のつけ方から農業機械まで、畑で見るものすべてが新鮮で、興味深く観察しようとしていました。

(引用開始)

こんにちは、松本です。今日のテーマは野菜観察です。これまで農業経験のない私には、農場で見るもの・教えて頂くこと、色んなことが新鮮な学びです



川平さんのにんじん畑での発見

川平さんの畑は無農薬・無肥料・自然栽培。にんじん畑は無除草で、雑草たちと共生する中からにんじんを探して収穫しました。まさに宝探しのような状態。その中で見つけたのがこれ。

異常に長い葉っぱ。雑草と横並びにしてみると、、、周りの雑草に負けずに日照を確保して、光合成で養分を得ようとして、必死で背伸びした、けなげな様子が伺えます。

雑草のないところで育ったにんじん(上)と比べて、その差は歴然。 一緒に生えていた雑草と比べて、葉っぱ分頭を出したぐらいの感じ。

(過剰な肥料を与えられてブヨブヨの肥満体に育てられた野菜に比べて) 野菜の生育にとっては、無肥料栽培はただでさえスパルタ環境です。雑草との競走の中で育ったにんじんは、更なるスパルタ環境を付与されたにんじんと考えて良いのでしょうか?

実際に頂いてみると、非常に優しく甘いのです。グリーンパワージューサーで透き通った甘さが感じられる「にんじんジュース」 を楽しみ、搾り滓をカレーに入れて楽しみました。カレーに入れた粉砕にんじんは、キーマカレーのミンチのような食感を演出し、また全体に甘さをもたらして、予想を超えるとても素敵な具材になりました。お味噌汁に入れても、ほんのりと柔らかく甘い出汁が出て、とっても美味しかったです。

*肥料の使用については、

● 化学肥料/有機肥料の違い
● 有機肥料にしてもその中身(動物性/植物堆肥など)や履歴(家畜  飼料への農薬・化学肥料の使用有無など)、完熟度合いの違いそもそも
● 肥料の使用量の違い
など様々の使い方バリエーションがあります。

十把一絡げに 「これが正解」 などと言えるほど単純ではないことがよく分かりました。宮古島 (いや、宮古島に限った話ではなく) 特に無農薬を標榜される農家の方々は、とっても勉強熱心で、それぞれに色んな試行錯誤を重ねてこられている様子も(まだまだ断片的にではありますが)見聞きしてきています。

日を改めて、更にコアな話題にも踏み込んでいきたいと思っています。

(引用終わり)

松本克也
プレマ宮古島プロジェクトリーダー(兼農業生産法人(株)オルタナティブファーム宮古代表取締役)
2012年4月まで自動車会社に勤務。車体製造の接合技術開発に心血を注ぎ、エンジニア一筋の人生を送る。2011年12月にもともとプレマファンだった姉から「プレマ・宮古島プロジェクトの発足とスタッフ募集」のメルマガ情報を聞いて『これだ!』と直感し、転職を決意。そこからはとんとん拍子に事が進み、家族で宮古島に移住。今ではすっかり都人(実は京都出身)ならぬ宮古人になりました。
オルタナティブファーム宮古のfaceBookページはこちら>>

プレマ株式会社の『宮古島プロジェクト 宮古島の自然農法を推進し、島の健全な地下水と珊瑚礁を守り、お客様に安心と安全を届けます。

【Vol.98】「違い」の発見

 今から、読者の皆さまにちょっとした質問をしますので、ぜひ答えてみてください。 問い:「青色」を想像してください。青色と言われたとき、何を想像しますか? ……さて、何を思い浮かべられたでしょうか。 この質問は、実際の社内ミーティングの時に、参加者に問うてみた質問です。お客様コンサルティングチーム、つまりお客様のご要望にお応えしたり、ご質問への回答をメールや電話で行うメンバーが集まった会議の席でした。「青色」を想像してください、といわれてそれぞれの答えはこんな感じでした。
① 絵の具のチューブから出ている青の絵の具
② 広い空とその青
③ 大海原とその青
④ ただ、色の青を頭いっぱいに感じた
⑤ 碧(みどり・あおの両方の意味がある)
を想像した 同じ京都の、同じ職場で働いている、すべて日本人、そしてすべて女性のメンバーでもこれだけの違いがあります。ついつい犯しがちな私たちの勘違いの一つは、「誰もが、私と同じように考えている」という錯覚です。青という誰でも知っている言葉を想像して、これだけ違うのですから、私たちのコミュニーケーションとは、誤解の連続である、ともいえるかもしれません。

多様性のほんとうの意味

 多様性、という言葉がよく使われるようになりました。その周辺には、マイノリティーとか、個人主義とか、いろいろな関連ワードが思いつきます。そのいずれもが、実はほんとうのことを言い表していない気がしてなりません。特に日本は島国ですから、基本同じような考え方をしている人たちが集まっている、という前提のもとに日々を暮らしています。国境線は海の真ん中にあるわけですから、陸続きで違う言葉、違う考えの人が往来しているのとは確かに訳が違います。このところ、訪日外国人数が増え、外国の方がたくさん日本にやってくるようになって、戸惑いを隠せない人も多くいらっしゃることでしょう。どうしても、自分の考え方、習慣、見た目が違う人が多くなってくると違和感を感じるのは当然のことです。ちょっと視点を変えてみましょう。私たちの肉眼で見ることのできない微生物の世界では、違う性質をもった多くの生き物たちが共生しています。実は私たちの身体の内外でも、たくさんの全く違う微生物がときにお互いを補完し、ときに勢力争いをしています。たとえば腸の中も皮膚のうえにも、そういった存在がたくさんいて、私たちを生かしてくれているのです。植物を育む土壌も、多種多様な微生物の宝庫です。生き物たちが栄養素を分解したり、ある特定の波長を出したりして、より大きな生き物を支えています。これを根本から覆すのが、強力な薬品類です。除菌、殺菌とやっている間に私たちの身体の内外は生物のバランスを崩し、とても危うい状態に陥ります。害虫や雑草が面倒くさいからと農薬を撒けば、その周辺の微生物たちの微妙なバランスが崩壊し、いくら肥料を与えても、生き物が育ちにくい状態になったりします。つまり多様性とは、そのバランスを無理矢理組み替えようとしたときに、望んだ結果とは違うアンバランスを生じさせ、中長期的に困った問題が起きうる、ということなのです。特定の意図を排除する精妙な仕組みである、ともいえます。人が自然をコントロールしようとしたときには環境破壊や種の絶滅が、他国を武力や恐怖で押さえ込もうとしたときには新たな争いの種が自然に立ち上がります。多数をもって正義としてしまうことの悪循環は、生き物の世界では明らかであり、私たちはその事実を謙虚に感じる段階に来ているのだと思います。私はこのようなことを摂理と呼んでいます。

摂理から学ぶ

 「青」からとても大きな話になりましたが、人と人というところに立ち戻ったときにも、相手を理解するためには相当な努力と、多大な時間を必要とするといえるのではないでしょうか。夫婦でも親子でも、考えていることはてんでばらばらなのです。ましてや他人となれば、理解には積極的な決意が必要です。お互いの思っていることをお互いが理解するためには、ただ仲良くしていることだけが大切だとは思えません。なぜなら、なあなあの世界では、「違う」ということを意識することが難しいからです。ときにはケンカを、ときには憤りを、ときには論議を、ときには詫びをすることもまた、お互いをよく知るきっかけにもなります。日本人のホワイトカラーの生産性が極端に低いといわれるのも、和をもって貴しとなす、という慮り(おもんばかり)の精神から、違いを明らかにすることに対する嫌悪心や恐怖心が根付いているとも解釈できます。違いを明らかにしないから、聞くことも、理解しようとする機会も少なくなり「なんとなくわかった気分」になって満足してしまうのです。公教育における道徳の格上げが検討されているようですが、誰かが美徳と思う理想例を一方的に教えようとしても、ほんとうの道徳心や倫理観は身につきません。違うことを超えていくために、逆に一致しているところは何なのか、手を組める共通項はどこにあるのかという発見には、固定観念がない、自由な空気と充分な時間が必要です。違うことは一方で、同じ部分を発見するチャンスでもあります。同じアジア人、同じ漢字圏、同じ戦争を繰り返したくない気持ち、同じ地球上に一蓮托生で生きているものとして、私たちは何を見いだし、同じ青を観じることができるのでしょうか。子どもたちは、次の時代を生きていきます。それは生命の摂理であり、DNAの意思なのです。世代を繋ぐために、違うことに正直に、傲ることなく、ともに生きるすべを身につけてまいりましょう。