きのくに子どもの村通信より
教育学史の巨星たち(1)
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近代教育学の天才 ジャン・ジャック・ルソー
Jean-Jacques Rousseau 1712-1778
近代教育学の天才自由教育も総合学習もここから始まった。
ジャン・ジャック・ルソー。フランス革命の火付け人といわれ、波瀾万丈の生涯を送ったこの啓蒙思想家は、恋愛小説を書き、オペラも作曲した多彩な天才である。そして教育論『エミール』は、教育学の歴史にさん然と輝く古典中の古典なのだ。自分自身は、5人の子どもを一人残らず孤児院の門前に捨てたではないか。こういって避難する人もあるけれど、子どもを大事にする基本的な教育の考え方のほとんどは、ルソーにその源を発しているのだ。
●子どもへの信頼
万物を作るものの手を離れる時、すべては善きものであるが、人間の手にわたると、すべてが悪くなる。
『エミール』の冒頭の一節である。教育にたずさわる者なら知らぬ者はないはずだ。伝統的なキリスト教の性悪論の子ども観に、敢然と、そして鮮明に反旗をひるがえすのは、今日では想像もできない勇気を要する危険な行為であった。
子どもの本性は善か、それとも悪か。この問いへの答えは、単純化すれば四つに分かれる。性善説、性悪説、白紙説、併存説だ。性悪説では、子どもは常に監視され、矯正されねばならない。白紙説は、ジョン・ロックの考え方である。教育は、何も書かれていない白紙に、絵や文を書き込む仕事だという。精神分析の創始者フロイトは「併存説」だ。人間には「生の本能」と「死の本能」があるから、自我を訓練し強化して、本能をコントロールすべしと説く。
性善説は、子どもの本能を信頼する。しかし放っておけば大丈夫と、やみくもに信じるのではない。私たちは、楽しいことを増やし、いやなことを減らす術を習得して、みんなの幸福を増進する力を秘めている。わがままを通せば、かえって不幸になる。ルソーは、これを社会契約と呼んだ。だからこそサマーヒルでも、きのくにでも、共同生活と自治が大切にされるのである。
●消極教育
何事も(子どもが)自分で発見したから知っている、というのでなければならない。
子どもの本性の内からの発達を信頼する教師は、直接的で高圧的な指導はしない。まず、その発達を阻害する要因を慎重に取り除く。子どもの失敗や間違いを叱ったりもしない。経験を通して学ぶのを援助する。
しかし、消極教育(negative education)は、何もしない教育や手を抜く教育ではない。実際はこういう教師の方が、直接的に教え込む教師よりも準備に忙しく、細かい配慮を要求される。自由な学校の大人たちは、きちんとわきまえねばならない。子どもの自由と教師の忙しさは比例するのだ。
ルソーの思想は「自然にかえれ」ということばで要約されることが多い(自分でそういったのではないらしい)。彼の育てようとしたのは、生まれたままの自然人ではなく、社会の中で幸福に生きる自然人である。
そのための間接的な援助が教育なのだ。
●発達段階
自然は、子どもが大人になるまでは、子どもであることを望んでいる。
ルソーは啓蒙思想家である。彼にとって、教育の最終目標は理性の発達だ。しかし彼は、それを急いではならないと強調する。今日のことばでいえば、発達段階を考慮して、ゆっくりと成長させようとする。「時間の得」を焦らず、むしろ「時間の損」を心がけよ、という。今日のやかましい学力低下論者に聞かせたいことばだ。小さな鉢に植えた植物は、早く花を咲かせる。しかしその花は、小さくて貧相だ。じっくり土づくりをして、時間をかけて育てれば大きく立派な花を咲かせるのに。
教育における土づくりとは何か。ルソーによれば、まず強い体、次に繊細な感覚が大事だ。この時代はとても長い。本格的な学習はその次にくる。せっかちに理性によって理性の発達を促すのは、「物事の終わりから物事を始めようとする」愚かな間違いである。
● 総合学習
彼(エミール)は、農夫のようにはたらき、哲学者のように考えなければならない。
西欧でも日本でも、かつて学校は支配階級や富裕階級のものであった。百姓に学問はいらぬ。我が国でも、つい数十年前までは、そういってはばからぬ人が、当の農民にさえ多かったのだ。
支配者と被支配者の関係は、頭脳と肉体の関係でもあった。肉体は卑しいものであり、理性によってコントロールされねばならないというわけだ。教育において、肉体や運動能力や感覚は軽視され蔑視され続けた。教育と職業訓練は、別のものと考えられたわけだ。
しかしルソーは、彼の教育論の主人公であるエミールの理想の職業として、農業と鍛冶屋と大工を選ぶ。これらの職業は、手先の技術だけではなく、知恵をはたらかせ、みずから創造的に考えることを求めるからだ。現代風にいえば、全面的な発達を要求し、しかも、それを促すからである。
実際的な仕事や生活の中で、身体能力も、感性も、知性も、社会的成熟も総合的に育てようという発想は、ペスタロッチやデューイなど、その後の多くの教育家に影響を与えた。キルクハニティのジョン・エッケンヘッドもその一人だ。ルソーは、正しい意味での総合学習、つまり各側面の発達を分離しないで、密接に関連付けて促そうとする教育のさきがけなのだ。
子どもの本性や自発性を尊重し、発達段階を大切にして、総合的な成長をと考える人は、現代ではめずしくない。しかし、それを250年前に高らかに宣言したルソーこそは、紛れもなく、教育思想の歴史における天才中の天才である。
【参考文献】
1・『エミール』(今野一雄訳、岩波文庫、1962年)
2・桑原武夫編『ルソー研究』(岩波書店、1951年)
3・桑原武夫編『ルソー』(岩波新書)