8年前に、母親にカミングアウトした。幸いにも、勘当も軽蔑もされなかったので、ホッとした。むしろ、レズビアンというセクシュアリティについてもっと理解したいと言われた。それでも、差別や偏見を避けるために異性のパートナーがいたほうがいいとも言われた。最近になってやっと、自分の娘を誇りに思うと人に言えるようになったらしい。
母国であるマレーシアでは、LGBTQであることは広くは認められておらず、犯罪として罰せられる法律すらある。2018年9月には、イスラム教徒で同性愛者の女性2人が公開むち打ち刑を受けた。また、宗教警察はトランスジェンダーの女性を逮捕する際に、性的暴行をくわえた。LGBTQコミュニティへの暴力行為が頻繁に起き、反LGBTQ感情を広めようと図る自国よりは、日本のほうがまだ生きやすいと思っていた。
ところが、ひとつ差別から逃れても、マイノリティに対する抑圧はとどまるところをしらない。真実が話せない経験がますます増えた。同級生にセクハラされても、十分な「証拠」がないから誰にも話せなかった。教授にパワハラされても、卒業できないことを恐れて我慢した。上司に不適切に触られて気持ち悪くても、誰にも相談できなかった。受け入れがたく、本当に辛かったけど、平気なふりをした。
人種や宗教、セクシュアリティを理由に殺害される人々。ネグレクトされ、幼くして自活せざるを得ない子どもたち。私たちが生きる世界は不条理なことだらけだ。ヴィーガンになってから、「インターセクショナリティ(交差性)※」という概念を知った。人は自分の理解の範ちゅうを超えたものを差別の対象とする。つまり、あらゆる抑圧は、あらゆる「理解できない」ことに起因するのだ。たとえば、動物。「動物である」ということも抑圧されるひとつの要因だろう。人間は動物を理解できない存在だと思い込んでいる。名前もなければ感情もないと。そうすることで、人間はためらいなく動物を食べることができるというわけだ。自分のトラウマと、世のマイノリティが経験していることに関係性が見えてくると、私はヴィーガンになるしかなかったし、あらゆる抑圧に無頓着ではいられなくなった。
多くの場合、自分の真実を公言することは勇気がいるし、壊滅的な結果になることもある。でも、得られる安堵感がある。そして、同じ経験をしている人に勇気を与えることができる。自分を恥じて生きなければならない世界はいらない。必要なのは、思いやりにあふれ、誰もが胸を張り、ありのままで生きることのできる世界だ。私はそう信じている。
制作チーム
イラストレーター
グラフィックデザイナー
林 玉文(りむ よくまん)
シンガポール生まれ、マレーシア人。京都精華大学アニメーション学科卒。マイノリティ支援の社風をもつプレマで大好きなグラフィックデザインをしつつ、毎日勇気をもらっている。趣味はヴィーガン料理、旅行、イラスト、撮影、魔女術の勉強。