2009年の4月から、カンボジア・バッタンバン事務所では2名の女性の地雷生存者を雇用しています。地雷生存者という言葉はちょっと聴き慣れない言葉かもしれませんが、英語の地雷被害者に当たる『LadmineVictim』(ランドマイン・ビクティム)という言葉が、地雷の事故に遭った本人を指すだけでなく、それによって影響を受ける家族なども含んだ言葉として使われることから、地雷事故に遭いながらも生き延びた人々を『LadmineSurvivor』(ランドマイン・サバイバー、地雷生存者)と呼んで区別し、その訳語として使用しています。
この地雷生存者というのは、言うまでもなく、まさに地雷の悲惨さを体現している人たちです。対人地雷が悪魔の兵器といわれる所以は、人を殺すのではなく、生命の別状がないように意図的に傷つけることを目的として設計され、無差別に無実の一般市民も傷つけているという点にあります。"地雷生存者"は地雷の事故に遭い、その激しい痛みと戦いながら、悪路の中、設備のない病院で足を切断しなければならないという悲劇に遭遇するだけではなく、治療後のリハビリ、そして日常生活に戻る社会復帰を果たしたあとも様々な障害と闘わなければなりません。貧困、偏見、差別・・・、その闘いは、一生、死ぬまで続くかもしれません。
しかしながら、4月から新たに採用された"地雷生存者"である2名の女性 は、そんな一般的なマイナスなイメージを吹き飛ばすぐらいのパワーを、他の現地スタッフにも、そして私自身にも与えてくれています。何といっても、とても明るい。とにかく彼女らが事務所にいる限り、事務所から笑い声が途絶えることはありません。そんな彼女らに出会ったのは、偶然のことでした。バッタンバンにある赤十字国際委員会のリハビリテーションセンターでは、地雷被害者などに義肢装具を無償提供しています。そこに現地スタッフが調査に行ったとき、彼女たちは古くなった義足を取替え、新しい義足を製作してもらうために数日滞在していたのです。今回はそのうちの1人をご紹介します。
名前はサムリット・ラウ、30歳。地雷を踏んだのは2001年6月10日。両親と家から10km離れたジャングルへ行き、田んぼを耕すために森を切り開いているときに地雷事故にあいました。踏んだ瞬間、彼女は地雷によって怪我をしたとは分かりませんでした。最初は「何の音だろう」と思い、自分の血まみれの脚を見て、初めて自分が事故に遭ったことに気づいたといいます。彼女は大きな声で泣き叫び、一緒にいた両親によってバッタンバンにあるエマージェンシー病院(イタリアのNGOが運営する戦争被害者のための外科を専門とする病院)へ運ばれ、手術を受けました。そして膝から下の左足を切断しました。
テラ・ルネッサンスの現地事務所が設立されたのも地雷事故にあった2001年であったことが、彼女自身にとって、私たちの理念や活動に共感する1つの理由だったようです。もともと内戦中は、タイの難民キャンプで生活していました。そのためまともな教育は受けたことがなく、クメール語(カンボジア語)の読み書きさえも、ままなりませんでした。両親とまだ小学生の弟がいますが、家は貧しく、多額の借金を返済するために両親は2年ほどタイへ出稼ぎにいきました。少しずつ返済してきましたが、今でも7,000バーツ※
(約200ドル)の借金があります。地雷事故に遭ってからは、両親が農作業を手伝うことを許してくれなかったといいます。農作業などの重労働で脚に負担がかかり、さらに怪我が悪くなって治療費がかかることを恐れたからです。「自分も何かしたい、両親や家族を助けたいのに、しかたなく家にいるしかなかった」という気持ちを常に抱えて彼女は生活していました。
テラ・ルネッサンスで雇用した理由は、彼女が現地NGOから裁縫の技術訓練を受けており、他の地雷生存者への職業訓練のトレーナーとしてその技術を役立ててもらえると考えたからです。そしてもうひとつ、彼女を雇用したい理由がありました。彼女には、他の地雷生存者への精神面のケアもしてもらうことができると思ったのです。今まで多くの地雷生存者に出会ってきましたが、いくら職業訓練やサポートをしても、彼らの多くが地雷の事故で脚を失ったショックや貧困、周囲からの差別などにより、精神面での問題を抱えているため、生活向上に繋がらないことも多くありました。逆に精神面で安定している人は、サポートの効果が目に見えて分かりました。地雷生存者の本当の気持ちは、やはり地雷事故に遭い、脚を吹き飛ばされた経験をした人でなければ理解しにくいものです。4月の採用以来、彼女はクメール語(カンボジア語)の読み書きや計算、さらには英語までも他の現地スタッフから学びながら、プロジェクトを実施している村の地雷生存者の精神面のケアをする仕事を少しずつ始めています。そんな彼女の夢は、地雷事故をなくし、障害者が差別を受けて悲しむことなく、希望を持って生活できる平和な世界を創ること。彼女の明るさと笑顔は、「世界は変えられる」と感じさせてくれます。
※:バーツはタイの通貨ですが、バッタンバン州は内戦中にクメール・ルージュの支配地域だったこともあり、経済圏はタイの経済に含まれていたことから、カンボジアの通貨リエルのほか、タイバーツも今でも流通しています。国境近くでは、タイバーツで料金が表示されることも多いです。このほかUSドルも使えるため、3つの通貨が普通に使われています。
江角泰(えずみ たい)
江角泰(えずみ たい)氏 NPO法人テラ・ルネッサンスのカンボジア事業担当者。 大学時代に、NGO地雷ゼロ宮崎のメンバーとして参加した「テラ・ルネッサンスのカンボジア・スタディツアー」が、テラルネッサンスとの出会い。 現在は、カンボジアにおける地雷問題に取り組む他、弊社が進めるラオス中学校建設プロジェクトも担当中。 |