前号で地雷撤去作業員になりたいという女の子のインタビューを紹介しました。その中で、彼女が地雷撤去作業員になりたいと思う、1つの大きなきっかけとなったのが、同級生の地雷事故でした。その事故にあった男の子を今回は紹介いたします。
名前は、モム・トゥン。年齢は13歳ですが、まだ小学2年生です。カンボジアでは日本と同じ6・3・3制で、7歳から小学校へ通いますが、彼が住むオッチョンボック村のように貧しい農村では、まだ学校がない、あるいは家庭の経済的な事情で、教育を受けられる環境は限られています。でも彼の場合は、それだけではないようです。4人兄弟の4男で、驚いたことに家族には彼自身も含めて、2人の地雷被害者がいました。彼のお兄ちゃんも、別の地雷事故で両足を失い、NGOの支援で、今はバッタンバンの街で勉強しています。家族は全員農民で、2ヘクタールの畑があり、この畑ではトウモロコシと大豆の栽培をしています。
トゥン君に、地雷事故に遭ったときの状況を聞きました。地雷事故は2007年、2人の友達とともにオッチョンボック村の隣のオータキー村へ、森の中にある野生の芋を掘りにいった時に起きました。この村では、トゥン君にインタビューをした2009年8月8日の2週間前にも、悲しい地雷事故があったばかりです。その時は、大型トラクターが、収穫のためにトウモロコシ畑に通じる道を通っていて対戦車地雷を踏み、一人が死亡、もう一人は重症でした。
トゥン君の場合は、友達と芋を掘っているときに地雷が爆発しました。彼は泣きながら家へ走って帰り、彼の父親がバッタンバンにある病院へ連れて行きました。その時はバッタンバンまで5時間かかりました。道の悪いカンボジアでは、地雷事故に遭ってから病院にたどり着くまで、かなりの時間がかかってしまいます。幸い2人の友達に怪我はありませんでした。結局、この地雷事故により右手を負傷し、小指と薬指、2本の指を失いました。「右手では書くことはできませんが、食べることはできます。」そう話すトゥン君の顔は、下を向いたままです。彼に地雷事故の話を聞いたことで、嫌な記憶を思い出させてしまったのかもしれません。いまでも小学2年生の勉強をしているのは、地雷事故にあったあとは、字も思うように書けないで勉強が進まず、何度もやりなおしているからだそうです。彼が事故に遭った場所は、その後、地雷撤去団体のMAGによって地雷が除去されました。もっと早く地雷撤去が行われていたらと思わずにはいられません。
そんな彼の夢を聞いてみました。最初は、両親のやっている農業を続けることだと話してくれました。でも何かためらっているような気がした現地スタッフが、「自分の好きな夢を語っていいんだよ」と言うと、恥ずかしそうに伏し目がちにしながら、次のように答えてくれました。
「先生になって、次世代の子どもたちを教えるのが夢だ」と。でも、地雷事故に遭い、利き手である右手で文字が書けなくなり、勉強も思うように出来なくなって、おそらくその夢も諦めかけていたのかもしれません。もう1つの夢は、「すべての地雷が破壊されることです。なぜなら、ものすごくたくさんの地雷があるからです。そして、村人たちがこれ以上地雷事故に遭うことがないよう願っています。」と話してくれました。以前、彼は地雷を見つけたことがありましたが、その時は父親に報告し、父親が自分で地雷を除去しました。なんて危険なことをするんだろう、と思われるかもしれませんが、カンボジアでは、地雷除去がまだ行われていない場所に住む人たちが、自分で地雷を取り除くことはよくあることです。もちろん危険なことは知っていますが、他に住む場所がなく、生きるか死ぬかの生活をしている人たちは、危険を冒すことを選択してしまうのです。
インタビューをしていたときの村人と現地スタッフの話が秀逸でした。「戦争で負けたのは、クメール・ルージュ(※)か、それとも政府軍、ベトナム軍か。」「どちらも違う。戦争に勝ち負けなんてないんだ。ただ負けたのは(地雷事故に遭った)この子だよ。」地雷被害に遭った子どもの2つの夢、ぜひかなえてあげたいと思いました。
※クメール・ルージュ…正式名称はカンボジア共産党。時代情勢の変化や粛清の結果、カンボジアの左翼勢力は事実上ポル・ポトのグループと同義語になった。1980年以降は共産党系の名称の類似性から混乱を避けるために指導者の氏名からポル・ポト派とも言われる。
江角泰(えずみ たい)
江角泰(えずみ たい)氏 NPO法人テラ・ルネッサンスのカンボジア事業担当者。 大学時代に、NGO地雷ゼロ宮崎のメンバーとして参加した「テラ・ルネッサンスのカンボジア・スタディツアー」が、テラルネッサンスとの出会い。 現在は、カンボジアにおける地雷問題に取り組む他、弊社が進めるラオス支援活動も担当中。 |