軽い食感なのに、噛めば噛むほど米の旨みと甘味を感じるプレマシャンティ
京あられ 潮彩は、農薬を使わず栽培したもち米を使った珍しい京あられ。
発売開始後すぐに売り切れが出るほどの人気商品です。今では作り手が
少なくなった「京あられ」を百四年作り続けている東坂米菓有限会社の
四代目、東坂浩史氏にお話を伺いました。
(写真左:四代目の東坂浩史氏と妻のさとみさん)創業から100 年間、看板だけで暖簾をつけていなかったのですが、「暖簾がないからお客さんが入ってこれないね」と妻のアイディアで半年前に暖簾をつけました。そのおかげでお客さんが店に入ってきてくれるようになりました。わかりやすくするのは大事ですね。と語る東坂浩史氏
東坂米菓は大正5年創業。私で四代目になります。私は家業を継いでまだ3年目なのですが、創業当時からあられの味はずっと変わっていないようです。私が小学生のころ、それまで世話になっていた醤油屋が倒産したことがありました。そのとき、二代目の祖父はあられの味が変わると大騒ぎしていたのを覚えています。しかし、その醤油屋のレシピを名古屋の醤油屋で再現してもらい、味を変えることなく続けることができました。
子どものころから兄は家業を継がないと言っていたので、私が家業を継ぐものだと思っていました。しかし、あるとき、父が「とりあえず浩史は好きなことをして、祖父が引退したら帰ってきてくれたらいい」と言ってくれたのです。それは父と頑固な職人の祖父との仕事への真剣さゆえの喧嘩が絶えず、毎日のように怒号が飛び交うなかで晩御飯を食べていたので、そこに私を巻き込みたくなかったのかもしれません。
私は飲食店向けの商社に就職しました。就職して5年したころから、祖父に「もうあられ屋の将来はないから」と聞かされていました。売上も下がっているし、大変だから家業を継がなくていいと言われ、実際に帳簿を見ると、これでは生活できないと思いました。「あられ屋は父ができるまででいいか」と思い、家業を継ぐという気持ちはなくなっていました。
ある日、20年通っていた馴染みの洋食屋が高齢を理由に店を閉めてしまいました。マスターに後継ぎがいなかったのです。そんな寂しい経験が何度か続いたあるとき、父が突然「あられ屋を辞める」と言い出しました。そのころ私は副業で商売を始めていたので収入については問題はなく、今なら継げると思いました。力仕事を手伝えば、父はまだあられ屋を続けられるんじゃないだろうか?
私は父に「辞めるのはいつでも辞められるじゃないか。まだやれるチャンスがあるのなら一緒にやろう」となんとか説得しました。
ずっと営業職だったので、実際にあられ作りをやってみたら、これを父は何十年、祖父は90歳まで毎日やってきたのだという驚きを感じ、この家業で育ててもらったことに感動しました。そして、私のようにものづくりの経験がなく、横着な性格でも「いいものを作りたい」と思えていることに自分でも驚いています。私が継ぐことで味が落ちてしまうのなら、惜しまれつつ閉店したほうが良かったんじゃないかと言う人もいましたが、それは今のところ大丈夫そうです。継がなければ東坂米菓は99年で終わっていました。その歴史に幕を閉じるということに、どうしても拭えない寂しさがあったのです。
子どもができてから、妻は添加物や農薬が気になるようになり、環境問題や原発などの勉強会をしたりして子育て世代のお母さんたちと活動するようになりました。そして、あられに使う色粉(添加物)を省いてはどうかなどのアイディアをくれるようになりました。私はまだ一人であられを作れるわけではありません。色粉は代々使ってきたので悪いものという認識はなく、父に伝えると面倒だと思われるのはわかっていました。でも、妻がいつも熱心にいい食材で食事を作ってくれているので、私も子どもにいいものを食べさせたいという思いが出てきました。
これまであられの原料には佐賀産の減農薬のもち米を使って作っていたのですが、祝島のひじきあられ「京あられ潮彩」には農薬不使用栽培のもち米を使っています。福井県の農家の島光さんという方から卸してもらっていて、それは妻の活動のつながりから実現しました。そうやってできた製品は、妻が売りに行ってくれています。農薬不使用栽培のもち米は高いので、あられの値段も上がってしまうのですが、妻は売れると確信していたようです。
今は昔ながらのあられはそのまま作りつつ、妻のアイディアを新商品として形にしていっています。添加物がダメ、農薬がかかっていたらダメではなく、選べたらいいなと私は思うのです。添加物や農薬を意識している人もいるし、そうでない人もいる。どちらもあっていいのではないでしょうか。
これからは農薬不使用栽培のもち米など、ていねいに作られた農産物を原料に使っていきたいと思います。醤油味にあごだし風味をつけたり、味噌風味など、まだまだできることはありそうです。妻の知り合いに高知でターメリックを作っている人がいるので、カレー風味の開発にも挑戦しています。揚げあられには絡むのですが、焼きあられには絡みにくく、父と妻と3人で試行錯誤しています。店が無くなることへの寂しさから延命措置的な気概で継いだ家業。いろいろな人とつながり、妻とも協力しながら、まだまだ学んでいっているところです。
あられを焼き上げる前の乾燥工程。天日干しされたあられが並ぶ。築100年以上の京町家で、今もあられが作られている