禅の老師が坐禅をヒントに生み出した集中型の椅子「禅チェア」が、昨年、新しくなりました。背もたれが背中ではなく腰(腰椎)に当たる、座面が短めで膝が自由に動かせて足の血行を妨げないなど、ほかのオフィスチェアとは異なる禅チェア。この椅子の生みの親で、整体の知識にも長けておられる井上希道老師に開発秘話を教えていただきました。
高校時代に交通事故に遭い身体にねじれが出てしまった井上老師。禅の修行で何時間も何ヶ月も座るなかで、どのようにしたら疲れずに長時間座れるか探究。整体や解剖学についても学びを続け、緊張と弛緩による動きが必要と気づき、これを応用した禅チェアを開発した
椅子の役割は大きく2つあります。休息用と仕事・勉強用です。最近は安くてかっこいい椅子がたくさん売っていますが、座っていることを忘れるほど仕事や思索ができる椅子には、なかなかお目にかかりません。休息用の安楽椅子は座った瞬間に全身を受け入れてくれて心地が良いけれど、20分も経つとうずうずしてきます。腰が落ちて身体の偏りが起こり、縮まった感じになってくる。すると首が前に傾き、首や肩が疲れます。腰と首は密接な関係にあるからです。2〜3キロもある頭を支える力が必要ですが、安定的にできるだけ省エネ型で支えるとなると、本当は直立が一番いい。坐禅をする時に、坐布を下に置いてあぐらをかくと、脊柱が直立し、その上に頭が乗ります。そのうえで身も心も力を抜いた状態が一番安定した状態です。禅チェアは、これを理想としたわけです。椅子生活が増えている現在、腰が落ちないように、座っただけで背筋がきちんと伸びるような椅子をと人体形態学的に考え、高さや座面など試行錯誤した結果、この形に行き着いたのです。
人が活動するということは動くこと。動くということは、筋肉の緊張と弛緩。つまり、緊張したら元のように弛緩すれば疲れは取れるわけです。だから、一日の終わりに自分でよく身体を点検して、すべての緊張を弛緩させて取ってやって、身も心も布団に任せきる。そうすると朝きちんと疲れが取れた新しい自分に再生されているわけです。身体のある部分を緊張させたら、そこを弛緩をさせて休ませる。椅子に座りながらも、常に何かしら動いて調整している。座っていても、動くことで疲れを取ることができるのです。
私たちは正装をして袈裟衣をつけて本堂へ出ますが、本像さんがあって、老師がいて、両方に向かい合って両番が並びます。この両番の役の時は、朝から晩まで何時間も座り続けます。なぜそれが可能かというと、わずかに足の指を入れ替え、骨盤を動かすことで重心移動しているから。疲れを分散している。これがコツなんです。中心を絶対に狂わせないようにしておきながら、実は、それを守るために微細調整しているわけですね。不思議なもので、わずか1cm左右どちらかに重心を動かすだけで、腰椎、胸椎、頚椎まで全部動いて疲れが分散でき、肩の疲れまで取れる。これを活かして、坐禅道場では、凝りが出てくると左右に腰を捻る方法を伝えています。弛緩をするためです。それをそのまま椅子にもってきたんです。禅チェアに座ると、自覚なく自然と身体を動かしたくなるようにできています。腿の下を圧迫しないよう座面を短めにして、足が少し椅子から離れて自由に動く状態になっているので自然に左右に揺れることができる。背もたれは背中を固定しないように低めになっていて腰を支えています。もたれると気持ちよく伸びて弛緩することができる。座ると自然に背筋が直立して集中できるようにありつつも、椅子によって身体を固められず、自分で動かして自己調整していける。そんなふうに自然に身体に働きかけられる椅子でないと、人間と一体になった椅子とは言えない。ギブスのように姿勢を固定する椅子は、最初は安定していいけれど固められてしまう。凝りが出てくると、人は身体を自然と動かしたくなるものです。禅チェアはその凝りに応じてくれる椅子と言えます。
一方、あるシステムを開発するために叡智を集める時など、互いに理論や知恵を出し合い検討するにはフル回転がいる。そういう時の姿勢は直立ではだめです。焦点を定め、頭がフル回転し、五感を使い、相手の言葉とやりとりし始めると、姿勢は動き出し発想が豊かになるものです。対して、直立は知情意、心意識感情を鎮める役目をしています。知は知性が中心になって考えること。情は感情。意は意思ですから、ああしようか、こうしようかと模索することですね。坐禅は心を鎮めていくこと。故人たちによって何千年も磨かれてきた、知情意、心意識が一番収まりやすい方法が坐禅です。禅チェアは、その直立を支持し緊張しやすい状態にし、なおかつ、アクティブに動きやすい状態を狙っているわけです。
椅子という概念は、生活のある部分の時間と肉体を預けるものです。疲れたとき、それを癒やしてくれる椅子にめぐりあえるというのはやはり幸せの一つ。でも、仕事・勉強の観点で椅子を選ぶなら継続的に集中できて、なおかつ、弛緩するために動けることが重要です。仕事用の椅子というものは、夜、睡眠におけるベッドや布団に値します。日中においては椅子の上でほとんど仕事をするわけで、そこで生み出していくものが文化なわけですよね。緊張状態とリラックスしている状態。それぞれの自分の身体感覚を知っておくことも、椅子を選ぶにおいては大切なことではないかと思います。