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インタビュー取材しました。

大豆と米のある食卓を次世代につなぐ
プレマラボ株式会社 工場長 齋藤 良也 氏 インタビュー

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日本人が昔から食べてきた穀物と豆、発酵食品の魅力をあらためて伝えようと、米ぬかや大豆を使ったオリジナル商品を生み出してきた旧リブレライフ株式会社。2019年からはプレマ株式会社の関連会社となりました。工場長として、食べて美味しい、そして体が喜ぶ商品を作り続けている齋藤良也さんに、健康的な食生活への思いと「豆汁(とうじゅう)グルト」の開発秘話を伺いました。

プレマラボ株式会社 工場長
齋藤 良也(さいとう よしや)

昭和17年、東京都武蔵野市生まれ。成蹊大学卒業後、大手自動車メーカーに就職。購買・調達部門に長く携わる。退職後、2011年に旧リブレライフの工場長に就任。故・町田建治前社長と共に穀物や豆、発酵食品を日本人の食生活に取り戻すべく、米ぬかや大豆などを原料とするプラントベースド食品の開発・製造に携わる。premalabo.co.jp

大豆と米で
世の中にない商品を作る

――旧リブレライフの故・町田社長と出会い、工場長に就任されたのはどのような経緯からですか。

 約20年前、私は自動車メーカーを定年退職し、飲料業界のある企業で新規事業としてサプリメントを開発・販売するのを手伝っていました。一方、町田さんは大手冷凍食品メーカーを定年退職し、新たな事業を立ち上げていました。あるとき、私は知人の紹介で彼に会い、創業への思いを伺います。日本で冷凍食品が普及したのは、1964年の東京オリンピックの後。選手村で大量の食事を用意するため、政府と水産食品メーカーの大手3社、帝国ホテルが一丸となって冷凍食品を生み出した。それが電子レンジの普及と共に家庭にも急速に浸透しました。しかし、冷凍食品を作るには食品添加物をたくさん使います。町田さんは長年製造に関わりながら、これは絶対に体に良くないはずだと、内心じくじたる思いを抱いていたそうです。それで、日本人の健康を取り戻すために、日本人が昔から食べてきた米と大豆を食卓に復活させたいと考えたのです。「齋藤さん、日本人はあんなちっちゃな豆に〝大豆〟とつけるなんて、すごい知恵だよね。今の日本人にも大豆をもっと食べてもらえるような食品を作りたいんだよ」ということでした。
 さらに、町田さんは、栄養豊富で本来貴重な食料源である米ぬかやおからを捨てずに、米や大豆を丸ごと原料にしたホールフーズの開発をめざしていました。大豆でホールフーズといえば味噌や納豆ぐらい。体にいいといわれる豆乳や豆腐だって大量におからを捨てています。おからは産業廃棄物とみなされ、年間の廃棄量は約70万トン。町田さんはすでに米ぬかを使った商品「GABA200」を開発していましたが、大豆はまだ模索中でした。

――大豆商品のきっかけはなんだったのですか。

 ちょうど同じころ、私は知人から「大豆を丸ごと粉にできる機械設備と生産ラインを発明した人がいるので、事業化を助けてくれないか」と相談を受けます。その技術は生大豆を100ミクロンから5ミクロンまでの粉に挽けるもので、当時は画期的でした。豆腐屋なら、朝から何時間もかかる作業を30分に短縮できるうえ、豆腐に入る大豆の固形量を自在に調整できる。スーパーで売られている一般的な豆腐が1~2%の固形量だとすると、その大豆粉を使えば12%ぐらいまで増やせるので、豆腐の美味しさがまったく違うわけです。そこで埼玉県秩父市の道の駅で、出来たて豆腐を販売する事業に関わりました。それが成功したので、町田さんにもお伝えして大豆粉を作る工場に案内したところ、これは本物だと。そこから大豆の全粒粉を使った商品を開発すべく、試行錯誤が始まりました。私は長年製造に携わってきた経験を生かして、工場の設備について助言してきましたが、食に関してはまったくの素人。まさか自分が工場長になるとは思っていませんでした。紆余曲折ののち、町田さんは大豆でヨーグルトを作ろうと思いたちます。日本は発酵食品の宝庫で、昔から発酵の力で健康を守ってきた。乳製品ではなく植物性の、しかも大豆を丸ごと使った栄養価の高いヨーグルトを作りたいと考えたのです。町田さんの信条は「世の中にない商品を作ること」でした。

乳酸菌を生きたまま
届けるために

――市場初の大豆ヨーグルトは、どんな特徴があるのですか。

 まず、町田さんがこだわったのは、作るものに「なにも足さない、なにも引かない」ということ。つまり、添加物などの余計なものは加えないし、原料の一部を捨てて無駄にすることもしない。それは、私たちが作るすべての商品に共通しています。
 さらにもうひとつ、一般的なヨーグルトは品質を安定的に流通させるために、製造時にヒートショックを与えて乳酸菌を失活させています。乳酸菌が死んでしまっているヨーグルトの機能性はなんなのかと考えたとき、それでは意味がないですよね。私たちはヒートショックを与えず、生きたままで乳酸菌を届けるのだと決めました。

――どんな乳酸菌を使っているのですか。
 NS乳酸菌といって、人類遺伝学博士の金先生がモンゴルで発見した機能性の高い乳酸菌を使っています。金先生に私たちが作りたいものに最適な菌の組み合わせを選んでいただきました。丸ごと挽いた大豆と、そのNS乳酸菌で発酵させてできたのが「豆汁(とうじゅう)グルト」です。幸いにも全国規模の小売店で販売されることになり、喜んだのもつかの間……。最初は冷蔵品として販売したために大問題が起きました。生きている乳酸菌は、時間が経つにつれ発酵が進みます。お客さまの手元に届く頃には、味も見た目もまったく変わってしまっていたのです。菌が生きている証拠ではありますが、酸っぱい臭いがしたりガスが抜けて表面に穴があいていたりして、腐敗と区別がつかなくなる。腐っているものを売ったんじゃないかとお叱りを受けて、すべて回収です。そういう大失敗をして、いったん市場から撤退しました。2011年のことです。

――その後、どのように今の「豆汁グルト」に辿り着いたのですか。

 流通過程で発酵が進まないようにしたいのですが、町田さんの信念として、ヒートショックは絶対にやらない。さらに、「豆汁グルト」の解凍後は約1週間を目処に召し上がっていただきたいので、家庭の冷蔵庫に入ってから1週間以内の発酵状態をちょうどいい具合にしたい。それならば、工場の出荷時に菌の働きをいったん停止させる、つまりスリープ状態にできないかと考えました。専門家に聞くと、乳酸菌は60度以上の熱を加えることはもちろん、冷凍しても死んでしまうと言うんです。でも私たちは、冷凍で本当に死ぬかどうか実験してみたんですね。分析機関にサンプルを預けて、1週間後、2週間後……と解凍して菌数を出してもらいました。すると、半年後でも億単位で生きていることがわかった。それなら冷凍でいけるねと。町田さんは冷凍に関してはプロですから、冷凍機メーカーと実験を重ねて、乳酸菌をスリープ状態にできる温度帯や時間などの条件を探し当てました。
 次に、「豆汁グルト」を製造するときの工程管理も課題のひとつでした。タクト生産といって、製造時の時間や品温などを一定範囲内に収めないと、出来上がるものの品質は均一になりません。どんな機械で、どれぐらいの回転数ならうまくいくのか。そこは長年ものづくりに携わってきた私の領域ですから、様々な機械メーカーに大豆粉を持ち込んで、試行錯誤する日々が続きました。
 発酵の管理も同じです。お客さまの手元に届いてからまた発酵が再開するようにしたいので、工場では発酵を途中で止めないといけない。発酵室の室温や発酵する時間、品温など、すべて手探りです。夜中も1時間おきに発酵状態を確認するため、同僚と事務所に3日間泊まりこんだこともありましたね。世の中にない商品を作るということは他の真似ができないので、データを取ってデータベースを作り、検証するしかないんです。こうしたらいけそうだという直感はあるのですが、それを、ひたすらデータを取って実証していく。町田さんと何度もやりあいましたよ(笑)。1年ぐらいかかって、ようやく納得のいく「豆汁グルト」が完成しました。

日本産の大豆を
次世代につなごう

――「豆汁グルト」を共に開発された町田社長(当時)は、2019年にお亡くなりになりました。齋藤さんから見て、町田さんはどんな方でしたか。

 とにかく信念の強い人でした。そして職人魂をもっていた。町田さんは、戦後に大変苦労された経験と、冷凍食品時代の苦い経験を土台に、第二の人生では絶対に日本人の健康に貢献するんだという熱意でものづくりに挑んでいました。大手メーカーから共同開発などの甘い話がきても、自分が作るものの基準が下がるようならすべて断っていました。
 私たちが同じ思いでいたのは、日本古来の大豆の自給率を上げて、次世代に残したいということです。日本人にとってこれだけ身近な大豆ですが、輸入大豆が8割から9割を占めている。それも、輸入先のアメリカ、カナダ、ブラジルは遺伝子組み換え大豆の主要生産国です。国産の大豆は、米との二期作が多いのと気象の影響を受けやすいため、年ごとに品質や価格が大きく変動します。町田さんは、東北地方など大豆栽培が盛んな地域に大豆粉の工場を建てて、その周辺に大豆粉を使った大豆食品の加工所を置いて、ご当地の大豆食品を販売するという町おこしの構想も描いていました。国産大豆による地域全体の収入を上げて、大豆栽培の農業従事者を増やすためです。もっと日本の大豆を食べてもらうための商品を作るんだという話をしていたら、志半ばで逝ってしまった。

――その後、プレマ株式会社が後を継いで、プレマラボ株式会社に変わりましたね。

 町田さんが2019年1月に逝去された後、周囲の方々に本当に助けていただきました。3月に会社を閉じるところでしたが、お客さまや取引先から「この商品をなくしてしまうのはもったいない」「あの会社を失うのは惜しい」と仰っていただいて、なんとか生き残らせようとみなさんが動いてくださった。幸いなことに中川社長と巡り会い、今につながっているのは有り難いことです。中川社長は、機能性の高いスイーツを作るのがお得意なので、これからは大豆の発酵食品を使った美味しいデザートの開発にも力を入れたいです。

――齋藤さんご自身は、「豆汁グルト」をはじめとする米や大豆の食品づくりに携わるようになって、健康に対する意識は変わりましたか。

 戦後30年ぐらいの間に、日本人の食生活ががらりと変わり、乳製品や肉類を多く食べるようになりましたね。うちでも、牛乳を家族で1日2リットルぐらい飲んでいた時期があったんですが、娘がアトピーになったり、牛乳アレルギーになったりするのを見てきましたから、つくづく食事が健康の土台なのだと感じています。町田さんと出会って、自分が作っている食品で体調が良くなったと言われることが代え難い喜びです。町田さんとの合言葉は、「世のため人のため、ちょっとだけ自分のため」なんです。大豆、そして米の可能性は無限です。町田さんと私の世代では実現できるかわからないけれど、大豆でチーズを作ることができたら一緒にワインで乾杯しようねと約束していました。これからも町田さんの志を引き継いで、豆と米、発酵食品を日本人の食卓に取り戻すための美味しい食品を作り続けていきます。

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大豆と米のある食卓を次世代につなぐプレマラボ株式会社   工場長 齋藤 良也 氏 インタビュー

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