2019年4月、本誌は「死と向かい合う」というテーマで弊社代表・中川のインタビューを掲載した。「人生において早い時期に、死をリアルに感じる機会を持つべき」との言葉に感銘を受け、私は6月号の当コラムに、金魚の死に必死に向かい合う娘の話を書いた。
あれから約2年。8歳になった娘は、いよいよ身近な「人」の死に直面することになった。曾祖母が亡くなったのだ。奇異な姿で死にゆく金魚にうろたえ、大好きなシシャモやシラスが食べられなくなった娘である。人一倍感受性の強い彼女が、曾祖母の死と、それにまつわる非日常をうまく受け入れられるだろうか。
そんな私の心配をよそに、娘は曾祖母の死とちゃんと向かい合っていたようだ。知らない間に成長していた? いや、もしかしたら、親の心配なんてものは無用の長物で、ただのエゴなのかもしれない。「いのちの作文」と題された娘の作文を読んで、「子どもを見くびんなよ!」と言われた気がした。
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七月十四日におおばあちゃんが亡くなりました。
わたしにはおおばあちゃんとの思い出があります。一しょにいるとわたしもおおばあちゃんも元気が出ました。そしておおばあちゃんが笑顔になるとわたしは楽しいことがいっぱいになります。
七月十四日の夜、ねている時、わたしはお母さんの泣いている夢を見ていました。おきてみると本当に泣いていてびっくりしました。わたしは「どうしたの」と聞いてみると、お母さんは「おおばあちゃんが死んじゃったの」と教えてくれました。さいしょ、「おおばあちゃんが死んじゃったゆめを見たのかな」と思ったけど、そうじゃなくて本当におきたことだと知って、わたしまで泣いてしまいました。
七月十六日におそう式に行きました。おばあちゃんにコロナだから来るなと言われたけど、さい後におおばあちゃんに会いたかったから行くことになりました。そしてさい後に花をかざる時、心の中でこう言いました。「歌を歌ったりして楽しいこといっぱいだったよ」。おおばあちゃんはもうおしゃべりもできないけど、ひさしぶりだったから会えてうれしかったです。
亡くなったおおばあちゃんを見て、もうちょっと会っていたらよかったと思いました。コロナのせいで会えなくなってしまってざんねんでした。
人が死んだらどうなるのだろう。
おはかにのこされて、それからもろうそくをつけてもらったり、お花をかざってもらったり、水をかけてもらったりして、また大切にしてもらっていくと思います。
プレマ株式会社 制作部
矢田 香織(やた かおり)
グラフィックデザイナー『らくなちゅらる通信』のデザイン担当。「カメラマン」の肩書きを得るべく精進する日々。最近できた趣味はアロマテラピー。脱・ペーパードライバーしたばかり。