長男が高校2年生の時、1年間ニュージーランドへ留学をした際にお世話になったホストファミリーには、次男と同じ年のホストブラザーが居ました。
留学して初めてわかったことですが、その子が次男と全く同じ発達障害の特徴を持っていたのです。
発達障害を持つ実の弟に対する、アンビバレントな自分の感情に混乱する思春期の長男にとって、このシンクロニシティーは驚きを隠しきれなかったようです。
「マミー、ホストブラザーはアキトと全く同じ特徴を持ってるんだよ!しかも同じ年」
もちろん私自身もです。
よりによって全く同じ特徴を持ち同じ年。
長男の魂は、この出来事の内奥にある課題について、自分自身をどのように導こうとしているのか?
私は海を隔てた日本から、そっと見守ることにしました。
起こる事は全て偶然ではありません。
自分と深く関わる目前の出来事は全て魂のレッスンなのです。
アテンションを求める子どもの心理
留学前長男に対して、弟の特徴を理解してほしい、こう接してほしいと、直接的な言葉で伝えれば伝えるほど、彼の心は素直さとは逆の頑なさが強くなっていました。
そうしたいのにできない!
長男は自分の感情の板挟みになり、葛藤していたと思います。
どうしたものかと思いあぐねていた矢先に長男の留学が重なり、物理的にも精神的にも距離を置くことができたわけです。
血の繋がった弟に対しては、なかなか心を開き素直な愛情表現ができなかった長男も、血の繋がっていないホストブラザーを介して、自分の弟を理解する手立てになっていたのでしょう。
長男は毎朝ホストブラザーと一緒にふざけあいながらバスに乗って学校へ行き、帰宅後もニュージーランドの豊かな自然のなかで仲良く遊んだようです。
本当は自分の弟を理解したい、受け入れたいという欲求を心の奥にちゃんと持っていたからこそ、魂はホストブラザーという実の弟にそっくりな子を側に置き、冷静かつ素直に接することができるよう心を優しく溶かしながら導いてくれていたのでしょう。
私にとっては長男も次男も大切な大切な愛おしい子どもたち。
愛情に差異はありません。
けれど、どうしても手のかかる子に意識を向ける時間は長くなります。
習い事へもついていく。
担任の先生とのコミュニケーションも密になる。
学校へ足を運ぶのも弟の方が多くなる。
母親としてそんなつもりはなくとも、兄弟フェアに時間を割いていたとは言い難いものでした。
子どもにとっては、愛と時間は比例するものなのかもしれません。
自分へ向ける意識と時間が少ないと感じれば、それだけで不足のマインドから愛の争奪が生じてしまいます。
平等に愛を注いでほしいという兄弟の潜在的な要求に答えるって、なかなか実践できることではないですよね。
一対一の時間を作る
帰国後、長男の弟に対する接し方は明らかに変わりました。
感情が高ぶったときも、一呼吸起きながら説明していたように感じます。
しかし次男にとっては過去刻み込まれた記憶が邪魔をして思い込みが拭い去れず、心を開くのに時間がかかったことは否めません。
ところが、次に長男がカリフォルニアの大学へ進学を決めて、渡米前にこんなことがありました。
私の手を借りることもなく、何でも責任を持って、留学準備を一人で進めながらバイトも頑張ってた長男。
お互いに忙しい合間を縫って、家族3人でお買い物へ行く約束をしていました。
ところがその日の朝、おもむろに次男アキトは、私にこう言ったのです。
「マミー、今日はコウキと二人でお出掛けして。コウキは、もうすぐ留学するから。
僕は遠慮して一人で映画でも観にいくよ。今日はマミーとコウキと2人きりの時間にして」