連鎖するトラウマ
親子間の〝トラウマ〟は無意識層に刻み込まれ、代々連鎖するものです。
私たちは幼少期、もっといえばお母さんのお腹にいる胎児期から、その家族の波動を浴び続けています。
その家庭の価値観、常識、ルール。
これらは親自身が生まれ育った環境や経歴、教育からの影響が多分にあり、その時代に特有の社会的、文化的な要因によっても形成されています。
昨今、日本のスポーツ界のパワーハラスメントがワイドショーを賑わせていますが、連鎖を食い止めるが如く象徴的な出来事に思えてなりません。
まさに古い体質がそのまま受け継がれ、まかり通ってきた既存のやり方が時代にそぐわなくなり、無意識層に抑圧され続けてきた感情が爆発して、平等を訴える健全さへと社会の潮流が変わってきているといえます。
実は子育てにおいても、同じように変容の時を迎えています。
次世代の子育ては魂のコミュニケーションなくして語れません。
古い体質の家庭環境では、上下優劣主従関係が暗黙のうちに家族間の「愛の絆」とは程遠いところで、各々の役柄を演じさせ、息苦しさを抱えたままの状態になっています。
もちろん親も生い立ちから無意識層に植え込まれた暗示のまま生きているので、それが愛情だと信じて疑わず、子どもに善かれと思ってやってしまっていることが、実は子どもの才能や可能性を潰し、本来の魂の輝きを封印してしまっていたりするのです。
日本のスポーツのコーチの暴力と罵声で力を引き出すエゴイスティックな手法は、信頼とは真逆の不信からのアクション。
本来の力を引き出すどころか押さえ込んでいます。
対して、全米オープンで優勝した大坂なおみ選手とコーチとの関係は、本来の潜在的な力を十分に引き出す理想的な関係です。
「なおみ、きみならできるよ!」
根底に信頼関係が築かれていれば、そんなポジティブな言葉かけ一つが、優勝へ導く魔法の力となるのです。
平等で在るということ。
共に育み合い、支え合う関係性は美しく感動を与えます。
次世代の子育て
子どもに対して魂レベルから対等に接するには、「子どもは自分のものではなく、源からお預かりした大切な命である」という理解が必要です。
人はみな、魂の使命、独自のブループリントを持って生まれてきており、それに対して親は、信頼と覚悟を持って子どもに接することがとても大切だと思うのです。
もしも家庭内に暗黙のパワハラがあれば、自分の本当の気持ちなど語れるはずがありません。
人は愛と繋がりを失うことを恐れ、大切な人にほど本音を語れないものなのです。
幼少期は自力で生きることができないため、大人に依存しなければなりません。
すると本能的にその環境の中でサバイブする自分を演じるのです。
魂レベルから見て、そんな不健全な連鎖は、大人が自己の内側に潜ませている癒しきれていないインナーチャイルドの傷跡からきています。
ずっと本当の自分の声を封印したまま育ってきているので、そんな状態になっていることすら気づけないまま、ただただ刻み込まれた思い込みと信念体系からの反応で生きてしまっているのです。
言ってみれば無意識の奴隷状態です。
自分がどんな反応をしているのか、何を演じているのか、自分の内側で何を抑圧しているのか、本当はどう感じているのか、自分とは一体何者か、わからなくなってしまっているのです。
自己防衛にエネルギーを奪われるほど、本質から逸れた魂が望まない生き方を選択してしまうものです。
そのことに気づき、自己の本質と繋がりコミュニケーションを取り続けることで命の幹を太くし、ぶれない軸を作り、創造的に生きることが「覚醒」ということなのかもしれません。