前半の10年
1998年から血管腫のレーザー治療に関わるようになり、アメリカのレーザー医学会でレーザーによる刺青除去の発表を聴講したときのことです。刺青除去のレーザー治療が青あざ治療に応用できないかと質問した私に、レーザー治療の世界的権威であるロックス・アンダーソン博士は「白色人種には青あざが見られないため、治療法を確立するのは日本人のあなたの仕事だ」と言われました。私があざ治療の開発に携わるようになった出発点です。レーザー機器を輸入し、あざ治療を開始したのが1992年。それまでは青あざに対する決定的な治療法がなかったのです。赤ちゃんのあざは、今も専門的に治療する施設がほとんどありません。子どものあざ治療をおこなう施設の多くでは、全身麻酔が安全におこなえる1歳まで治療を待つよう言われます。しかし私は、治療原理を考えると、乳児のうちの治療開始こそ、痛みが少なく早くきれいにあざが消える良好な結果につながり、本人の記憶に残りにくい利点もあると考え、当初より積極的に赤ちゃんに治療をおこない、講演や論文で早期治療の有用性を呼びかけました。
また、1996年には、今ではあたり前になっているレーザー脱毛の研究を開始しました。同時に、脱毛が安全におこなえる仕組みづくりにも従事しました。レーザー脱毛創成期にはやけどなどのトラブルが多く、どのような施設でどのような決まりのもとで施術をおこなうかも曖昧で、患者様も施術者も安心して脱毛をおこなえる仕組み作りが必要だったのです。
その一方、眼瞼下垂症をはじめとする瞼の形成術も多く手掛けました。患者様の細かいお悩みや希望を受け止め、機能を改善しつつ仕上がりの美しい手術に高い評価を頂いてきました。
さらに、早く綺麗になりたいという患者様のニーズに対し、医療のみでできることの限界の溝を埋める方法として、メディカルエステを1990年に考案しました。エビデンスに裏づけられたエステティックを治療補助として活用、注入療法やオリジナル化粧品の開発にも取り組み、現在のクリニックの形が整った2000年、京都三条京阪に「鈴木形成外科」を開業。美容医療を精進し続けるもの思っていたのですが、2011年3月11日の東日本大震災に伴う原発事故が発生。安全な食べ物の探求を余儀なくされました。
後半の10年
クリニック開業から11年目にして、食と健康の関わりを学んだ結果、健康を獲得・維持できる食事はPBWF=plant based whole foods(植物性の食材をなるべく精製・加工しないで食べる)という結論にいきつきました。
PBWFは我慢するのではなく新しい美味しさを発見できる楽しいものだと知っていただくため、クリニック1階にカフェ「CHOICE」を開業、料理教室や講演、海外の情報を日本に伝える活動を積極的におこなっています。
また「栄養外来」を開設し、慢性的な疲労、頭痛、下痢や便秘、アレルギー、不妊などに分子栄養学的視点からアクセスしています。昨年からは、乳幼児から小児の発達障害、多動、行動障害やアトピー性皮膚炎・難治性皮膚疾患などに対する受け入れ体制も整い、治療を開始しました。栄養外来では症状のみに注目し薬で抑える対症療法ではなく、保険診療とは別の側面で根本治療を目指しています。
次の10年
人々が飢えることなく食糧が供給され、地球環境も守れるかどうかは、今行動を起すか否かで決まります。食事を変えることで防げる病気を防ぎ、安全な食べ物が流通し、生産者も消費者も幸せになる仕組みを作るためになにをするべきか考え、実行する。次はそんな10年にできたらと考えています。