水没しなかったいのちとの縁
同じ3人の子の母親だけど、高齢出産のわたしとは大違い、23歳と25歳で2人の子を産んで、その2人はもう大学生、第三子がわたしの第二子と同い年の小学校低学年、という女性と話していたとき。子育ての先輩の実感として、子どもが青年期に入ると、ペットを飼う母が増えていくのだそうです。そんなものですか?
いまのわたしは、3人の活発な生き物と日々対峙しているので、人間以外の動物の世話が増えるだなんて、まったく考えられません。つまり、ヒト以外の生き物と、そう近しく接することはなく過ごしてきました。
そんななか、真ん中の子が遠足に行き、東京の多摩川べりでバッタをたくさんとってきました。そして、逃がさず飼いたいと主張してきます。生き物の世話はちょっと……と思っていたのですが、その直後、10月に大きなニュースとなった台風19号による多摩川増水・氾濫がありました。うちの子たちが虫とりした河川敷も、当然水没しています。
それまでは、虫用のプラスチックかごに入れられたバッタを、自由に跳ぶこともできずかわいそうに……と感じていたところ、本来なら台風で全滅していたバッタが、うちに来たことで生き延びたわけで、これもご縁? という意味づけに変わり……。越冬できる種ではないように思いますが、ここは寿命をまっとうできるまで飼ってみようかと。真ん中の子と、一番下の保育園児と、一番にわたしが(!)世話をしています。
栄養のある音を聴く
小さな存在でも野生のいのちが生活に入り込んでくると、生活の感じ方がちょっと変わります。
バッタのいる虫かごにお日様が直接さす時間帯になると、バッタはとたんに活発になります。そういう時間帯は暖かいので、普通は窓をしめる季節だからこそ、意識的に細く窓を開けるようにしています。自然界にある音は、建物の中には届かないといいますから、閉め切った家で暮らす野生の虫は、生きづらいのではないかと思ったわけです。すると、ほんの少しでも窓をあけた瞬間に、わたしも耳から世界が一気に開けるような気がするんですね。ヒトも動物だから、こんな都会であっても、自然環境に存在する音によって、脳が、生体が、活性化されるのでしょうね。
また、虫かごのなかに一匹だけ鳴く虫がいて、良い声ではないのですけど……なんだか、その音が、妙に耳をひくんです。鈴虫を飼う人の気持ちが初めてわかりました。人間の可聴域を超えた、高周波を含む環境音が大切というのは本当だなと、日々実感しています。
ところで、お腹で子どもを育む時期は、生物として、もっとも根源的なところに立ち戻る期間です。母の胎内にいる子どもは、おそらく熱帯雨林の豊かな環境音にも似た、母の体内の生命が脈動する音のシャワーを浴びて育っています。一方その子を育む側の妊婦さんは、音の栄養をあびる機会はほとんどなくて、自然が足りないなかで一生懸命自然の営みをする、息苦しい環境でがんばっているのでは……?
大きなおなかを抱えてなんだか苦しいとき、眠りづらいときは、自然が少しでも多いところに行って、その音を脳の奥や背骨であびるつもりで、リラックスするといいんじゃないかと思います。それは、わたしたちの基本となっているもの。室内に植物の鉢を多く置くだけでもいいかもしれません。自分のからだと感覚に聞いてみてくださいね!